哲学生の記録。

大学時代のレポート文章を載せます。

【卒業論文】内声の表現衝動 ―なぜ日記を書くのか―

〈梗概〉 例えば、ひとつの生物から命が消えるとき、「なぜ」と問うても仕方のないことがある。そしてまた、冷たく硬直した身体を抱きながら、比べて自分の手は温かく自在に動かせるということについて思い巡らせても、どうにもわからない。しかし、考えても…

【卒論準備】2ヶ月前の草稿途中

(タイトル仮) 「ひとりで表現するなかで他者へ向かう意識」 第一章 心理療法における感情表現 第一節 心理学基礎の不確かさ 第二節 言語化 第三節 視覚化 第二章 表現療法の効用 効果的なパーソナリティ条件 注意・馴化・認知的再体制化 コンテクストに収…

【卒論準備】草稿案

卒論の進み具合・・・ タイトル(仮) 感情表現とメンタルヘルス ―アウトサイダーアートと芸術療法から― アウトサイダーアートとは アールブリュット、ドゥブュッフェの定義 日本でのアウトサイダーアート、山下清から? インサイドとは? アカデミズムとい…

【卒論準備】テーマを考える

私はせかされるのが嫌いだ。しかし、日常のなかで執拗にスピードが要求されることや、逃せないタイミングは多くあるように思う。 これは、いつの世にもあったことなのか、それとも現代の日本社会は特にせかせかしているのか、ということで、時間観と暮らしか…

【ゼミ】「眼と精神」(第5章) 終わらない絵画の探求。

存在を茂みに喩えると、奥行・色彩・形・線・動勢・輪郭・表情などはその枝であり、存在をよみがえらせられるものである。存在を茂みに喩えるのは、見えるところと見えないところが風による揺れや見る角度によって違い、繁みの奥は測り知れないという点で、…

【ゼミ】「眼と精神」要約③ 絵画における「運動」を、ロダンの言葉を手掛かりに。

(『眼と精神』p.292~295) 絵画の作りだしたものは、これまでに述べたような〈線〉のほかに、〈位置の移動なき運動〉もある。絵画は画布や紙の上で起こるものであって、動くものは生み出されない。移動することなく運動を表わすやり方には、痕跡によって移…

【ゼミ】「眼と精神」要約②

(279〜283ページ) 前段落で、視覚には二種類のものが考えられることがわかった。ひとつは、デカルトに由来する「私によって反省された視覚」であり、もうひとつは「実際に起こっている視覚」である。しかし、この後者の事実的視覚や、その視覚に含ま…

【ゼミ】「眼と精神」要約①

(段落11~14?) 身体の謎と絵画の諸問題は、同じところにある。 身体が見ることができるのは、物だ。物が見えるのは、セザンヌが「自然は内にある」と言ったように、身体がそれを見るからだ。そこにあるものが身体のうちに呼び起す反響を迎え入れるこ…

【メモ】なぜ、何を描くのか。 ―アウトサイダーアートと芸術療法―

アウトサイダーアートとは ・アールブリュット、デュブュッフェの定義 ・日本でのアウトサイダーアート、山下清から? ・インサイドとは?? アカデミズムという形式(千住p.62) 日本では微妙? ・アリストテレス「アートとは人に見せたくなるもののことを…

【心理療法】読書と私

「自分」はどういう人間なのか?この問題に簡単に答えられる人は、どこにもいないと思う。人は、どんな人でも、そう単純ではないし、その人の特徴を一言で表すことができる言葉があるとは思えないほど、多面的である。特に、「自分」については、あの人と一…

【心理療法】クライエント中心療法について

1、はじめに 講義で紹介されるまでに私が持っていた来談者中心療法のイメージは、とにかくクライエントの自発性を大切にし、クライエントの発言を否定したり、「こうしなさい」という指示を出すことをしないというものだった。ひたすら発言を促して、クライ…

【組織神学】エコフェミニズムについて

1、近代思想の二項対立(文化と自然・男性と女性) 近代には「理性・感性」「合理・不合理」「主体・客体」「文化・自然」というように、世界のすべてを二項対立の図式でとらえようとする傾向があると、スーザン・ヘックマンの『ジェンダーと知』では主張さ…

【現代哲学】隔たりへの応答 ―レヴィナスの他者論について―

1、「他者」は「絶対的に他なるもの」 レヴィナスにとって「他者」とは「絶対的に他なるもの」である。それは、私の予測を常に超出して同化を許さないものであり、決して自我の自同性に回収されることはない。自我にとって捉えきれないものとしての他者はサ…

【現代哲学】メルロ=ポンティの他者論  〜共存する主体という事実〜

1、メルロ=ポンティ他者論は、サルトルの批判を起点とし独我論を脱する メルロ=ポンティの他者論は、サルトルの他者論を批判するところから始まる。サルトルは、人間の実存を、意識的存在である対自存在としてのありかたと物的存在である即自存在としての…

【現代哲学】メルロ=ポンティの哲学テーマと言語表現

1、哲学者は詩人でありうるか? メルロ=ポンティが自らの哲学的問題を考察するときに使用する言語が「詩的」だという指摘がある。言語とは何かという問題をあくまでも哲学的に探究した言語論展開者の言語表現が、一見したところでは哲学とまったく異なる営…

【現代哲学】現象学と言語表現 ーメルロ=ポンティとサルトルよりー

1、メルロ=ポンティの哲学が「詩的」である理由 メルロ=ポンティが自らの哲学的問題を考察するときに使用する言語が「詩的」だという指摘がある。言語とは何かという問題をあくまでも哲学的に探究した言語論展開者の言語表現が、一見したところでは哲学と…

【現代哲学】「存在と無」にみるサルトルの主体の概念と『嘔吐』

1、現象学とは 現象学は、意識に現れるものによって世界を説明しようとする試みである。人間の知覚には限りがあり真の物体をとらえることは不可能だと、経験の世界と対比して本質の世界を仮定的するのをやめて、存在するものの存在とはまさにそれが意識の中…

【倫理学概論】ケアの責任自体が生の享受であれ

1、自律的に生きること 工藤は、閉じた共同体内のあらかじめ定まっている道徳に従うことを他律として、自らが倫理的であろうと批判的に判断することを自律とする。そして「啓蒙の時代である近代に求められる理性の公共的使用は、共同体から一旦離れて考えて…

【倫理学概論】脳死からの臓器移植

1.どの状態を死とするか 人が生きている、死んでいるとはどのような状態なのか。一般に、生は死と相対するものとして考えられるが、実際には死の瞬間と言える一点はない。それは、完全な身体の機能停止に向かって徐々に進行していく不可逆的な現象であり、…

【倫理学概論】対話でつくる国際正義

1.不可欠、だが困難な、国際正義の定立 「グローバル化により異なった文化的背景をもつ人間の接触機会が増大したいま、文化横断的な正義や地球的な共存倫理を定立することなしに、他者との良好な関係を維持することは不可能なのである」(1)と、押村高は…

【倫理学概論】マジョリティの道徳的悪(中島義道『悪について』より)

1.カント倫理学は適法行為のうちで道徳的に善い行為を問題とするが、人間は非適法行為を実現する 中島義道は、カント倫理学のなかで、適法的ではあるが道徳的に善くはない領域の「悪」についての言及に注目する。中島によれば「カントの関心は、義務に適っ…

【ゼミ】自同性の一線 〜レヴィナス「逃走論」より〜

1.前近代の西洋哲学は存在の自足せる安逸を前提としており、自我から出られない 西洋哲学は、自我から出られない全体性にすべてを包み込む危険をはらんでいると、レヴィナスは指摘する。というのも、平和と均衡を理想としている西洋哲学は、存在の自足せる…

【ゼミ】レヴィナス『逃走論』Ⅲの発表原稿

Ⅲ章では、欲求の構造を説明する。 心理学的な欲求の説明 欲求→満足の追求 人間存在の制約としての欠如(不充足)のために他のものを求める 欲求を全体に拡散させる不快感も、この存在の有限性をあらわすものである。 満足の快楽=自然な充溢の回復 ↑ 欲求の不…

【ゼミ】レヴィナス『逃走論』Ⅰ前半の発表原稿

段落1 存在の観念に対する伝統的哲学の反抗 →人間的自由と存在という事実が不和だったから。 伝統的哲学においては、人間は世界と対立することはあっても、人間自身と対立することはない。主体の内部での自我と非自我を対峙させるような、自我の統一性を破壊…

【ゼミ】『方法序説』第四部の発表原稿

『方法序説』第四部(p.53 5行目~) 神と魂の存在は、身体や天体や地球の存在よりも確かである。 夢に現れる実際とは違う身体・天体・地球も、他の思考と同様に生き生きと鮮明であり、夢の思考が他よりも偽であると分かるのは神がいるためだとしか考えられな…

【ゼミ】『方法序説』第二部前半の発表原稿

p.20「たくさんの部品を寄せ集めて作り、いろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度が見られない」ことについて考える。 ・完成度(低) 古い壁を生かしながら修復につとめた建物 村落が大都市に発展し…

【ゼミ】『方法序説』はデカルトの思考方法を示す

1.『方法序説』は、その考え方によって古典的名著となる 『方法序説』は『広辞苑』によると、1637年に刊行されたデカルトの主著であり、「スコラ学をしりぞけ、明晰判明を基準として一切を方法的懐疑に付し、自我の存在を確立し、近世哲学の礎となった」(…

大学のレポートをブログにまとめることについて

どうなんでしょうか。 大学のレポートをブログにまとめることって。 著作権は本人にあるので問題はないそうです。 そもそも書いているのが学生時代の本人なのですから、稚拙な表現、怪しい読解、偏った主張なども見られます。 しかしまぁ、ネット上の情報だ…

【社会倫理学】「人間」の動機 -シュトラウス・コジェーヴ論争からー

1.クセノフォンの『ヒエロン』をめぐって 名誉と労働の概念を手掛かりとして、シュトラウスとコジェーヴの争点を検討する。 レオ・シュトラウスは、クセノフォンの『ヒエロン』という対話篇を非常に独創的に解釈してみせることによって、現代にも通じる道…

【社会倫理学】注意深い古典読解の意義

1.読書の精神 このレポートでは、注意深い古典読解の意義について述べたいと思うが、古典読解の前に、まず読書とは何であるかを考えてみたい。 読書とは、字の如くすれば、本を読むことである。三木清は、「もし読書の精神ということがいえるなら、読書の…