哲学生の記録。

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【ゼミ】レヴィナス『逃走論』Ⅰ前半の発表原稿

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

 

段落1  存在の観念に対する伝統的哲学の反抗

→人間的自由と存在という事実が不和だったから。

伝統的哲学においては、人間は世界と対立することはあっても、人間自身と対立することはない。主体の内部での自我と非自我を対峙させるような、自我の統一性を破壊する闘争を超えたところで、人間の主体は単純なものとして存在する。自我は自我の内の人間的でないものを一掃して自己自身と和解している。

 

段落2  18、19世紀のロマン主義

自我の自己自身との和解という理想を手放すことはなかった。闘いは、個人のヒロイズムや自分自身の現実を開花させるために、異質なものに対して挑まれる。

 

段落3  自足した安逸

伝統的哲学やロマン主義は、自我を自足した安逸と考えており、これはブルジョア精神とその哲学の特徴である。ブルジョアは内面的分裂を打ち明けない。

彼に所有を保証している現在の均衡を破るかもしれない現実と未来を憂慮しており、現在に確実な保証を求める。

ブルジョア=不安な保守主義

事業や学問への関心・・・事物ならびに事物に秘められた予見不能性への防御

所有本能は統合本能であり、帝国主義は安全性の追求である。

 

段落4  存在の自同性

自足せる安逸という範疇(categorie多義的な存在の構造を表す述語?)は、諸事物の存在がモデルになっている。

諸事物は存在する。

存在は存在する。存在するという事実の肯定は自足している。この事実を肯定するために付け加えなければならないことは何もない。

→存在の自同性(存在するという事実が自足していることの表現)

 

段落5  西洋哲学

存在主義との戦いの目的:人間と世界の調和、われわれの存在の完成

  ↑

平和と均衡という西洋哲学の理想は、存在の自足せる安逸を前提としている。

「人間の条件の不充足は存在に課せられたひとつの制限でしかない」

いかにこの制限を超越し、無限な存在と合一するかのみに関心がもたれた。

 

段落6  しかし近代の感性は!

制限はexistenceではなくnatureにのみ適応される。

→存在のうちに、制限以上に深刻な欠陥を看取した。

「逃走」(現代文学)・・・近代の感性による存在の哲学に対する糾弾。

 

段落7  逃走=世紀の病い

<逃走が姿を現す近代の生活状況>

生活の余白が誰にも残されず、誰も自分自身と距離をとる力を持たない。

万物の秩序の不可解な歯車装置に挾まれているのは、自分のことを考える自立した人格。

自分が獲得した堅固な地盤に立脚しながらも、あらゆる意味で動員可能(mobilisable)なものと自分を感じている。

この堅固な地盤が問いただされるとき→自分は究極の現実を犠牲にするように強いられていたのであり、はかない実存が絶対的なものだと自覚する。

生活における快適な遊びは、遊びを断つことができない、遊ばないではいられない、遊びに釘づけにされているという意味で、遊びとしての性格を失う。

事物が遊具としての無用性を持っていた幼年期は終わり、われわれは現実に存在しており、その存在には必ず終わりがある。

 

 

自己についての自足した安逸という考え方は、日本にもあるか?

自立した人格として歯車装置に挟まれているのは、当人にとって辛いことか?

 

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)