哲学生の記録。

大学時代のレポート文章を載せます。

【ゼミ】「眼と精神」(第5章) 終わらない絵画の探求。

存在を茂みに喩えると、奥行・色彩・形・線・動勢・輪郭・表情などはその枝であり、存在をよみがえらせられるものである。存在を茂みに喩えるのは、見えるところと見えないところが風による揺れや見る角度によって違い、繁みの奥は測り知れないという点で、言いえて妙である。枝というのは、全体を支え、水や養分を全体にいきわたらせる役目を持っている。このことから、絵画においては、全体から分離した「問題」もなければ、真に対立するやり方もないし、部分的な「解決」や、積み重ねによる進歩や、引き返しようのない選択もない。どんなに部分的に見える末端であっても、支脈は全体をつないでいる。そういう訳で、画家がいったんは退けた象徴を、それに違った意味を持たせて再び使うことは、許されているのである。たとえば、ルオーの輪郭はアングルの輪郭ではない。というのも、ルオーの画風では、黒く骨太に描かれた輪郭線が力強く奔放な勢いを持っているのに対し、アングルは絵画における最大の構成要素はデッサンであると考えていたため、色彩や明暗、構図よりも形態が重視され、その輪郭線は形態をかたどる役目を果たすためのものだった。何を重視するかによって、同じ輪郭でもまったく異なった意味が付与されうる。また、光は、レンブラントフェルメールなどにとっては好んで描かれた重要なモチーフであったが、ジョルジュ・ランブールによって年老いて魅力のなくなった権力者の妻のようだと揶揄される。これは、キュビスムの画家たちが光を追放したことによる。彼らは〈画面の肌〉と言われる筆致と絵具が画面上に作り出す材質感に、新たな表現を求めて、貼り紙の技法を使ったり、絵の具に砂を混ぜたりした。しかし光は、デュビュッフェにおいて〈画面の肌〉のある種の感触として再び現れてくる。つまり、いったんは退けられた光という象徴が、今一度とり直されたということだ。このような回帰は避けようがないものだとメルロ=ポンティは言う。

余談になるが、デュビュッフェは子どもや精神障害者による作品を「生の芸術」として称賛した人物であり、「うまい歌手の歌よりも、ひとりの娘が階段を磨きなががなりたてる歌の方が、私の心に響いてくる。それぞれ好みは違う。私は少ないものを好む。同じように萌芽の状態を、不細工さを、未完成さを、雑多さを。私は殻の中のダイヤモンドの原石を好む。その不純物とともに」という言葉を残している。このことから、デュビュッフェが画面上のある種の感触として採用した光も、一度追放される以前のものとは異なった意味が与えられていたと考えられる。デュビュッフェも自ら集めて展覧会を開いたことがあったという精神障害者の絵画は、「見る」ことや「描く」ことについて、私たちが一般的に人間の機能だと思っているそれらはいったい何なのかを考えさせてくれるものである。白い紙を前にしたときに、何を描くのか。決まりはないが、知識としての認知・表現パターンはいくつか持っている状況で、何をどう見て如何に描くのか。存在をよみがえらせる支脈は、精神障害者と呼ばれる人たちの描いた作品のなかにも充分見てとれる、むしろそれはグロテスクさから無意識に目を背けてしまっていそうなほど飾らなく鮮明に骨格を浮かばせているようにも見える。不純物を含んだ殻の中のダイヤモンドは、ただの石ころといったいどこが違っているのかというと、それはおそらく絵画鑑賞において重要なカギとなる「想像力」と「直観」の問題なのだと思う。

話をもどすと、予期されなかった歩みよりもまた、避けられないものである。たとえば、ジェルメーヌ・リシエの彫刻作品は、ロダンの未完成の断片を思わせるところがあり、リシエにとっての完成した彫像は、ロダンにとっては未完成だったろうと思われるということがある。このようなことが起こるのは、メルロ=ポンティに言わせれば、リシエもロダンも彫刻家として、同じ一つの存在の網目に巻き込まれていたからだ。

同じ理由で、およそ何ものも完全な所有とはならない。本当の画家は、ビロードだろうと毛布だろうと、自分のお気に入りの問題の一つを「こねまわし」ながら、実は自分でも気づかずに、それ以外のあらゆる問題においても、もう解決されたと思われていたものを覆すことになる、と言われる。これは、ひとつのモチーフをこねまわして、それをどのように見ることができるか、あらわすことができるかを試行錯誤することは、ひいては世界のあらゆるものに対してのやり方の探求になるからである。つまり、画家の探求は、それが部分的であるように見える時でさえ、いつも全体的なのである。

画家はあるやり方を手に入れると、今までとは違った領域が開かれ、以前に自分が表現できた一切のものを、これからは違ったふうに表現し直さなければならなくなる。たとえば、遠近法を使わずに立方体をとらえることに成功した画家は、立方体以外にもそれまでに遠近法でとらえられてきたもの全てに対して、そのやり方を適応すると違った表現が可能になることに気がつくだろう。一度は「表現しえた」と感じた対象は、遣り口を変えれば違った姿であらわしうるものだ。そうすると、遠近法で描かれた立方体は確かに立方体であるものの、それだけが立方体であると言うこと、立方体というものをそのやり方だけで所有できたと思っていたら、それは間違いだということになる。画家は、彼が以前に発見したものをまだ所有してはいないということは、このことだ。所有されていないものには、なお追求の余地がある。メルロ=ポンティは、新しい発見とは別の探求を呼び求めるものにほかならないと言う。画家たちにとって世界は、存続する限り描き続けなければならないものなのである。よって、普遍的絵画、絵画の全体化、完全に実現された絵画といった理念は、それを問うことにすら意味がないということになる。

パノフスキーは、絵画の「諸問題」、つまり絵画の歴史に磁力を与えている諸問題が、しばしば見当違いな方向から解決されていることを指摘している。画家が関心を持ち、解決しようと探求を進めていく諸問題は、最初にその問題を設定した探求の路線上で解決されるのではなく、画家が探求の袋小路に突きあたり、もはや解決できないものとしてその問題を忘れてしまったかのように他の問題に惹きつけられ、そちらの問題の方に取り組んでいるとふいに突然、前の問題の方で越えられない壁のように見えたものを跳び越えることができる、といった具合で解決されることがあるというのである。絵画の歴史は、ひとつの目標に向かって真っすぐ、段階を追って発展していくという形を取らない。それは、回り道をしたり、横道にそれたり、越境したり、いきなり走りだしてみたりしながら、迷路のなかを錯綜しているようである。そして、このような絵画の歴史性は「迷路」というよりは、存在の茂みの内で奔走しているというふうにも思える。大きな茂みの全貌を知りたくて内に分け入ってはみたものの、非常に複雑で真っ暗なので、どちらが進むべき方向なのかなどということは、知る由もないのだ画家自身にも自ら通ってきた軌跡が、果たして進んでいるのかまた元のところに戻ってきているのかが何とも言えない、ということもある。歩いてはいるが、進んでいるのかはわからないといった状況だ。

しかし、絵画の言葉なき歴史性が迷路のなかを前進していくようだと言われるのは、決して、画家がおのれの欲するものを知らないということを意味するのではない。画家の欲しているものが〈目標〉や〈手段〉以前のものであって、それがわれわれの一切の実用的な活動を高みから指図している、ということなのだ。推測するに、画家は茂みを抜けてどこかに向かいたいのではなく、繁みの全貌が知りたくてうろうろと歩きまわっているのである。

とはいえ、絵画の歴史に見られる声なき「思索」が、まったくの暗中模索であり、意味のいたずらな渦巻きであり、麻痺し流産した言葉だという印象を受けるとすれば、それはわれわれが知的適合という古典的理念にとらわれているからである。知的適合という評価基準を取りはらってみれば、高みから指図しているものをとらえようとして迷路のなかを前進しているというのは、絵画だけでなく、文学や哲学、科学でさえもそうだと言える。なぜなら、いかなる思考も土台から完全に離れきることはないからだ。言葉としての〈思考〉は、それ自身の土台を自由に処理することができるという特権を持ってはいるものの、本当に獲得され、安定した財として蓄積されることはない。存在者をことごとく処理しつくすことなどは、どのような手段によっても不可能なのだ。手探りで堂々巡りをするように進んでいるのは、絵画だけではない。メルロ=ポンティは、結局のところ、どの分野においても客観的な貸借対照表を作ったり、進歩とは何かと考えたりすることは不可能なのだという。或る意味では、人類の歴史の全体が停止しているのだ、と。

これに対して、悟性が抱くであろう感想はおそらく「なんだ、理性の究極のところは、足元の地面がすべっていくことを確認して、昏迷の状態が明けないことを疑問などと名付け、堂々巡りを探求と呼び、完全に〈ある〉わけではないものを存在と名付けることに過ぎないのか」という、ため息まじりの失望である。ただし、ここで裏切られた期待というのは、メルロ=ポンティによれば〈おのれの空しさ〉の埋め合わせとなるような充実欲求の〈誤れる想像〉であるので、この失望というのは、自分が全知全能ではないことを悔しがって無理に駄々をこねているだけのようなものだ。

絵画はもとより他のどんな営みでも、段階を追って発展していく進歩を論じることができないのはなぜかというと、ある意味では、絵画の最初のものが未来の果てまで歩みつくしてしまったからである。〈絵画そのもの〉を完成させる絵画はありえないと言ったが、それは決してひとつひとつの作品に何の意味もないということではなく、むしろ創作は他の作品を変え、明らかにし、深め、高め、創り直し、前もって創り出すことになる。創作が所有につながらないというのも、全生涯を前方に有している、閉じこめられた部屋の中で有り得ようもない永遠の若さを装って見せるものよりは、放たれた家畜に近いものがあるからなのだろう。

絵画は、われわれの一切の実用的な活動を高みから指図しているところのものをとらえようとするが、なぜ絵画がそれを欲するのかというと、自分のものではないそれを自分のものにしたいからでも、空しさや欠けている箇所を補いたいからでもない。それは不思議として、まさに「描く」という行為も含めた一切の活動を指図しているところのものがそこにあるということが、知覚として目には見えないものだからなのだろう。見えはしないが、「見る」ということにも「描く」ということにも深くかかわっているそれが確かにあるということを、あらわそうとしており、まさにその活動の渦中にあるがゆえにそれを、所有はできずとも垣間見ることができるのが、絵画である。

 

【ゼミ】「眼と精神」要約③ 絵画における「運動」を、ロダンの言葉を手掛かりに。

(『眼と精神』p.292~295)

 

絵画の作りだしたものは、これまでに述べたような〈線〉のほかに、〈位置の移動なき運動〉もある。絵画は画布や紙の上で起こるものであって、動くものは生み出されない。移動することなく運動を表わすやり方には、痕跡によって移行を暗示するように、ある瞬間とその後の瞬間のちょうどあいだを切り取る方法がある。しかし、このことについてロダンは、瞬間的な現象、不安定な姿勢は運動を石化してしまう、―競技者が永遠に凍りついてしまっているような多くの写真がそれを示しているではないか、と注意した。マレーの写真、立体派の分析、デュシャンの『花嫁』などは、瞬間と瞬間のあいだの視像の数を増やすことによって、運動を起こさせようと試みたが、そのような試みによっては競技者の凍結が溶けることはなかったと、メルロ=ポンティはいう。視像の数を増やすことは、運動についてゼノンが抱いた幻想(「飛んでいる矢は止まっている」的な?)を示しているだけである。ひとつひとつの像は、その瞬間瞬間のそのものの位置を表わしてはいても、ここからあちらに〈行く〉という運動を表わすことにはならない。

では、いったい何が運動を見せてくれるのか?映画はフィルムのひとこまひとこまの連続によって運動を見せるが、視像の数を増やしたものの競技者の凍結を溶かすことができなかった試みたちと映画とでは、どこに違いがあるのだろうか。通常は、映画が運動しているように見えるのは、位置の変化を子細に移すことによってであると考えられているが、スローモーション・カメラの映像を思い出すに、どうやらそうではなさそうだ。

ロダン曰く、「運動を見せてくれるもの、それは腕・足・胴・頭をそれぞれ別の瞬間にとらえた像であり、したがって身体をそれがどんな瞬間にもとったことのない姿勢で描き、―まるで両立しえないもののこの出逢いが、いや、それのみが、ブロンズや画布の上に〔ポーズの〕推移と〔時間の〕持続とを湧出させうるのだとでも言わんばかりに、―身体の諸部分を虚構的に継ぎ合わせたような像なのだ」。たとえば、歩いてる人の両足が同時に地面にふれた瞬間をとらえた写真は、逆説的だが、運動を見事に見せてくれる。それは、人間の身体が空間をまたぎ越す〈時間的偏在性〉というものを持っていることを、示しかけているからである。

画像は、その内的不調和によって動きを見せてくれる。メルロ=ポンティによれば、身体の運動とは、どこか潜在的な中心点で、あらかじめ足・胴・腕・頭などのあいだで謀られている或る何ものかであり、それがただ次の瞬間に位置の変化へと炸裂するにすぎないのである。

走っている足が、実際にはありえない動き方をしている馬の絵を、ジェリコは描いた。この絵を、その時代にはカメラやビデオが普及していなかった無知の産物として片付けてはならない。なぜなら、全速力で走っている馬は、両足をほとんど身体の下にたたみこんだ状態の一瞬を取ることがあるが、このような馬を描いても、ただその場で飛び上がって浮かんでいるようにしか見えないからだ。馬の身体の構造的にありえない姿勢が、走っている馬らしく見えるというのは、どういうことなのだろう。その答えは、絵画が描こうとしているものが切り取られた一瞬の空間ではないというところに由来している。

「芸術家こそが真実を告げているのであって、嘘をついているのは写真の方なのです。というのは、現実においては時間が止まることはないからです」と、ロダンは言った。迫りくる時間がすぐに閉じてしまうはずの瞬間を、写真は開いた状態で紙に焼き付ける。その意味で、写真は時間の超出・侵蝕・「変身」を打ち壊してしまうが、絵画は、不自然な身体で運動を表わす絵画は、逆にそれを見えるようにしてくれる。

歩いている人が両端を地面につけた瞬間や、ジェリコの描いた馬は、ひとつの身体として描かれながら、まさにその一瞬にしてはありえない体勢であるからこそ、その身体はある瞬間とその後の瞬間をまたぎ越している状態だと言える。このような状態が、メルロ=ポンティの言う、馬が「ここを去ってあちらへ行く」のであり、それぞれの瞬間に足を踏み入れているということだ。

絵画は運動の外面ではなく、運動の秘密の暗号を求める。言い換えると、動いてるものの一瞬の真実を切り取るのではなく、運動を時間の持続とともに描くのである。その暗号とはつまり〈すべての肉体が、そして世界の肉体でさえ、おのれ自身の外へ放射する〉ということだ。時代や流派がちがっても、肉体的なもののうち以外ではありえない(画家にとっても、鑑賞者にとっても)絵画は、まったく時間の外にあることはない。

 繰り返しになるが、〈見る〉ということは、思考の一様態や自己への現前ではない。私が私自身から不在となり、存在の裂開―私が私自身に閉じこもるのは、その極限においてでしかないのだ―に内側から立ち合うために贈られた手段なのである。

 

 

「世界の肉体」「存在の裂開」の意味がわからない。

【ゼミ】「眼と精神」要約②

(279〜283ページ)

 

前段落で、視覚には二種類のものが考えられることがわかった。ひとつは、デカルトに由来する「私によって反省された視覚」であり、もうひとつは「実際に起こっている視覚」である。しかし、この後者の事実的視覚や、その視覚に含まれる「そこにある」は、デカルトの哲学をくつがえすものではない。

視覚は、身体と結合したものなので、デカルトの定義からすると、身体と分かれた精神によって本当に〈考えられる〉ことはありえない。もしも視覚について考えたいとすれば、思考を身体的なものだと考えるほかには方法はない。そこで、メルロ・ポンティは、〈思考〉は初めから悟性と身体の混合物なのであり、そもそも純粋悟性に従属させようとすることがばかげているのだと批判する。

「生の行使」、すなわち、あまり深く考えすぎずに日常生活を送ることによって、心身の合一は可能になるのだが、〈思考〉というものは、〈思考〉と見なされずに思考される限りにおいて、この「生の行使」の旗印なのである。実存する人間や実存する世界は、必ずしも〈思考〉されなければならない対象として現れるわけではない。考えるべく課されているわけではないこれらのものを〈実存の或る次元〉という。この実存の次元は、思考と同じように「或る真理」によって支えられており、実存の次元の昏さと思考の明るさとはその「或る真理」に基づいている。

そこまで進んでみると、デカルトのうちにも〈奥行〉の形而上学らしきものが見いだされる。しかし、デカルトは「或る真理」の誕生を明らかにするわけではないし、神の存在は「深淵だ」のひとことで終わりにされる。デカルトにとっては、この深淵を測ろうと試みることは、心の空間や、見えるものの奥行を考えようとすることと同じく無駄なことなのだ。人間の身分はその資格を欠いているという理由によって。

「資格のないものはそれについて考えるべきではない」というデカルト形而上学は、明らかになる領域を制限することで思考の明証さを確かにし、形而上学にこれ以上かかわってもしょうがないということを説く形而上学なのである。

こうしてデカルトによって深淵はのりこえられ、神秘は失われてしまった。

科学と哲学のあいだ、私たちが知覚について持っているモデルと「そこにある」ことの昏さのあいだには、もはやつながりはない。現代科学は、デカルトが科学に指定した領域の制限も科学の基礎づけもともに放棄し、デカルトの到達点であったところから出発する。神の裏づけなど必要ないのだ。

操作的思考は、心理学という名目で、デカルトが〈盲目の、しかし他のものへ還元しえない経験〉のために残しておいた、自己自身および実存する世界との接触の領域すら、なわばりとして主張する。操作的思考は、哲学に対して根本的に敵意を持っている。しかし、心理学は、デカルトから見れば混乱した思考に属する概念をいくつも導入した結果、そのうち哲学の意義を認めるようになるかもしれない。哲学は、その意義が認めなおされるまでの間は、デカルトが開き、すぐに閉じてしまった〈心身の複合体〉の次元、実存する世界や底知れぬ存在の次元に沈潜しなければならない。科学と哲学とは、デカルト主義の帰結であり、その解体から生まれた二匹の怪物なのだ。

さて、今のところ哲学に残されているのは、現実の世界の踏査の領域だけだ。心身の複合体として存在していることについての思考。実際に置かれている立場や状況について持っている知では、身体は視覚や触覚の手段ではなく、それらの受託者である。目や手が、見、さわるための道具なのではなく、見、さわるための道具が、傷つき失うことのある身体の器官なのだ。

ここで見られる空間は、『屈折光学』で語られるような、私の視覚の第三者的な証人ないし私の視覚を再構成しそれを俯瞰する幾何学者が見るような〈対象間の関係の束〉ではない。それは空間性の零点ないし零度としての〈私〉のところから測られる空間である。世界は私のまわりにあり、私はそれに包みこまれている。光もまた、その光のなかで現に見ていない人が考えるふうには考えられない。

視覚は、見えるもの以上のものを見せる。インクで描かれた絵画が、森や嵐を見せるのにじゅうぶんであれば、視覚は、身体とはなれたままで身体をあやつってみせる精神に委任されるはたらきではない。

問題は、空間や光について語ることではなくて、そこにある空間や光に語らせることだ。そこで果てのない問いかけ、片がついたとされていた一切の探求が再開される。存在とは何か、身体から切り離された精神にとってではなく、デカルトが身体に広がっていると言った精神にとって。われわれを貫き、包み込んでいるそれら自身にとって。

こうしたことを問う哲学、これから探求されなければならないこうした哲学は、画家に生気を与える。彼の視覚が行為となる瞬間、画家が「絵のなかで考える」ときにおいて。

【ゼミ】「眼と精神」要約①

(段落11~14?)

 

身体の謎と絵画の諸問題は、同じところにある。

身体が見ることができるのは、物だ。物が見えるのは、セザンヌが「自然は内にある」と言ったように、身体がそれを見るからだ。そこにあるものが身体のうちに呼び起す反響を迎え入れることで初めて、物はそこにあるとされる。

そして身体は、目に見えたものを目に見えるものにすることができる。それがすなわち、絵画だ。絵画は見えるので、ほかの人によって見られることで、その鑑賞者の身体のうちにこれまた反響を呼び起こす。つまり絵画は、二重化された〈見えるもの〉である。

ラスコーの洞くつの壁画は、岩壁と絵具からなるが、そこに描かれた動物たちは、壁についてしまった絵具のしみとは一線を画する。鑑賞者は絵を、物を見るときのようには見ない。絵を見るというよりは、絵に従って、絵とともに見るのである。

 

イマージュというと、デッサンのように、心のなかに思い描いた複写・写し・第二の物であるように思われている。しかし心のなかのイマージュは決してそのようなものではなく、〈外なるものの内在〉かつ〈内なるものの外在〉なのだ。この二重構造は、まさに身体が〈感じる〉と〈感じられる〉という二重構造を持っていることに由来する。この現象によって、〈創造的なもの〉についての〈準・現前〉と〈切実な可視性〉という大問題を理解することができる。

サルトルが言うには、イマージュはそのもの自体としてはあらわれない不在の対象物を志向するものであり、画像や役者の物真似などの事物の世界から素材を借りるものと、意識や感情などの精神の世界から素材を借りるものに区別される。しかしメルロ=ポンティは、この主張は間違っていると批判する。)

〈準・現前〉は、〈創造的なもの〉は現実的なものよりもずっと近くにあり、またずっと遠くにあるということだ。想像的なものは、〈現実的なもの〉の私の身体内部での生活表(=見取り図?)であるという意味で、現実的なものよりも私に近い。一方、画像は身体を介さなければ〈類似したもの〉にならず、また画像は物について考える機会ではなく、物に従う眼差しの痕跡や、〈現実的なもの〉が想像的に組成されるという視覚の構造を考える機会を与えるという意味で、ずっと遠くにある。

 

目は物しか見えず、絵画は物としては見られないのだが、画像や心的像を見るための〈内部の目〉が別にあると言いたいわけではない。そもそも肉眼の機能そのものが、単なる色や光や形の受容ではないのだ。肉眼は〈見えるもの〉について天賦の才を与えられており、この才能は〈見る〉という訓練によって鍛えたのが画家の視覚だ。

眼は世界からの衝撃に動かされ、手でその世界を〈見えるもの〉に組み立てる。そうして絵画はできるのであり、およそすべての絵画では〈可視性〉という謎だけが祭られてきた。

 

ひどく当たり前のことだが、画家の世界は目に見える世界だ。そしてこれは、部分的であることによってしか完全ではありえない。眼は身体の部分であり、それは世界のなかにあって取り換えや比較の不可能なたったひとつの個別的な視点だ。絵画はほかの人には決して見ることができず、画家自身でさえそれが何なのかよくわからないものを、紙やカンバスといった物に閉じ込めようとする試みである。

〈見る〉ということは〈離れて持つ〉ということだ。見られたものに指の一本も触れなかったとしても、その像は見る人の身体のうちに所有されている。絵画はこのように不思議な方法で、存在のあらゆる現れかたを所有するものだという点で、狂気じみているともいえる。

絵画は、一般的な視覚では見えないと信じられているもの(単なる物以外のもの)を、見えるようにしてみせる。だから、絵に従って、絵とともにあるように見ることによって、触ったり動いたりといった「筋肉感覚」なしで、鑑賞者は世界の奥行きや重さを実感する。

絵画を見るときの視覚は、「視覚的所与」(物によって呼び起される反響?)を超えて、存在の〈肌理〉に向かって開かれている。存在の〈肌理〉とは、感覚的伝達を含めた存在を成り立たせる成分と素地のようなものであり、人にとっての家のように、眼はそこに住みついている。

 

【メモ】なぜ、何を描くのか。 ―アウトサイダーアートと芸術療法―

アウトサイダーアートとは

・アールブリュット、デュブュッフェの定義

・日本でのアウトサイダーアート、山下清から?

インサイドとは?? アカデミズムという形式(千住p.62) 日本では微妙?

アリストテレス「アートとは人に見せたくなるもののことを言う」見せない前提は祈り

坂上チユキ、病状&経歴とアウトサイドの定義

・芸術家による「見出され」が必要であるということ

・子どもの絵との違い

 

芸術療法

・箱庭、コラージュ、etc.

中井正一ウィトゲンシュタイン 言葉にならないもの

・表現による客観化が与える心理的作用 悪い夢は人に話すと良い

ユングのマンダラ

 

形式美と病理的表現

岡潔の現代芸術への批判 神経症自慢?

・描かずにはいられない・モチーフへの執着という共通点

・患者か天才か 狂気とは(フーコー

・狂気に魅かれる アウトサイダー意識を持つ人が増えているのではないか 傍流文化

 

【心理療法】読書と私

「自分」はどういう人間なのか?この問題に簡単に答えられる人は、どこにもいないと思う。人は、どんな人でも、そう単純ではないし、その人の特徴を一言で表すことができる言葉があるとは思えないほど、多面的である。特に、「自分」については、あの人と一緒にいるときにはこういう面を見せるが、こういう状況ではこんな振る舞い方をしたりもする、というふうに、ひとりの人間が場面によってさまざまな特徴をもち合わせるように見えることがあるが、自分は「自分」についてのほぼすべてを見ているということができると思うので、逆に、どの特徴が最も「自分」を適切に表したものなのかは、自分ではわかりにくい。

そこで、自分を理解するための手がかりとして役に立つのが、他人の言葉だ。クライエントがカウンセリングに求めていることのうちにも、これは大事なことであると思われる。自己に対する気づきは、今後の状況を改善してくために重要なポイントになりうるからだ。

私は、「論理的だ」と言われることがある。就職活動中に「あなたはどのような人ですか」と聞かれ、「私は論理的です」と述べたところ、「なるほど、その通りですね」と非常に納得してもらえたこともあるので、初対面の面接官からみてもそう見えるほどの客観性をそなえて、私はその特徴を持っているようだ。私が論理的だとみられる要因は、おそらく二つある。それは、口を開く前に考える時間がやや長めであり、内容の一貫性や因果性をよく考えていることと、話しかたがやや文語に近く、あらたまった場では特に接続詞などの文と文のつながりの関係が適切であるように気を使っていることだ。

私が論理的になったのは、本を読むことが子どものころから好きだったからだと思われる。論理に多く接し、親しむよりほかに、論理的になる理由は思い当たらない。文章を読むことをとおして、そのような思考の表現パターンを身につけたのだろう。では、なぜ本ばかり読んでいる子どもだったのかというと、内向的で好奇心が強かったという性格の側面と、両親が共働きのため、家にひとりでいる機会が多くあったという環境の側面のほかに、本は楽しいものだという考えを身につけていった学習の過程があったと思われる。

学習理論によれば、行動は強化子によって強化される。強化子が、正の強化子であれば行動の頻度が増加し、負の強化子であれば行動の頻度は減少する。私にとって、読書という行動を強化した正の強化子は、母とお菓子だった。幼いころは、母が絵本を読み聞かせてくれた。私の母は保育士をしていたため、読み聞かせという行為を普段からよくしていたし、本好きな子どもに育ってほしいという願いからそうしていたというのもあったのだろう。母親が自分と一緒にいて、かまってくれるということは、このころの子どもにとってはそれだけでも幸せな時間になるのだと思う。

三年後に弟と、その二年後に妹が生まれてからは、母が読み聞かせをしてくれた記憶はない。いろいろ忙しくなったからだろう。そして私は、ひとりで暇なときには、本を読みながらお菓子を食べるようになっていった。読んでいた本は、家にある本ばかりではなく、小学校に上がってからは特に図書館や学校から借りてきた本も多数あったので、普通は「本が汚れるからやめなさい」「行儀が悪い」と叱られていてもおかしくない。しかし、子どもが三人もいて、両親が共働きで、祖父母と同居しているわけでもない家庭においては、おとなしく部屋で本を読んで遊んでいる長女は、ほかっておかれるのが常である。レバーを押すとエサがもらえると学習したラットがレバーを押すように、本を読んでいれば自動的にお菓子がもらえるというわけではなかったが、私は自分で無意識的に本を読む行動とお菓子という強化子をセットで経験し続けていき、小学校高学年のころには、近所でも有名な本好きな子どもとして、友だちの親などから褒められるくらいになっていた。

ませすぎた恋愛小説などを除けば、本を読んでいて大人から咎められることは、まずない。読書能力は、学校の成績と密接にリンクする確率が高いからだろう。問題を解くにはまず問題文の意味を正確に理解することが必要であるということもあるが、活字の文面から具体的に想像する力、論理的に文章を読解する力、抽象的な概念を取り扱うことに対する慣れ、などを持っていることは、たいていの教科の勉強で有利に働くものである。実際私も、本がおもしろすぎて試験勉強を怠ったとき以外は、そこそこ悪くない成績を維持してきたと言える。

ところが高校に上がったとき、私は本ばかり読んできた弊害に気がついた。それは、読書という趣味に没頭することが、私の内向的な性格と合致することによって、人付き合いが苦手になってしまっていたということだった。中学までは、長い付き合いの友だちがおり、私が「こういうやつだ」ということを理解してくれていたのだが、高校に上がって知らない人達ばかりのクラスのなかで友だちを作らなければならないとなったときに、私は困ってしまった。本の中でなら、いくらでも文脈を読んでその後の展開を予想することができたが、現実ではどうしたらいいものかさっぱりわからなかった。このとき、そのまま「友達なんていらない」と本の世界に引きこもることも選択肢としてはあったのかもしれない。しかし何というタイミングか、私はそのクラスで好きな人ができてしまい、どうにかして現実にうまく人間関係を作れるようになりたいという欲求を持つことになった。

この状況に対処するために私が考えた行動の変革は、極端で思い切りがよく、根本的すぎるために直接的とは言い難い方法だった。今考えると、「朝、おはようと挨拶をすること」「休み時間は本を読まないで、なるべく近くの席の人などと話してみること」や、「自分から積極的に人の輪に入ること」といった、小さなことからはじめいくというスモールステップ的な方法でも充分だったのではないかと思われるが、このとき私は、「日常生活のなかで本に接することを、授業などで必要に迫られたとき以外はやめる」ということを決意した。そして、この大胆な変革は成功し、高校時代はほとんど本を読まずに過ごした。なぜいきなり、それまで大好きだった「本を読む」という習慣を断ち切ることができたのかというと、その好きになった人がハンドボール部に入部するというので、私も、それまで縁のなかった運動部につられて入部してしまい、練習、練習で、家に帰ったら疲れて眠るだけの日々を送ることになったからだと思う。部活は結局、ハンドボールの激しく戦闘的で、チームプレーが必要となるところが性に合わなかったのか、やはり運動があまり好きになれなかったからか、半年後にはやめてしまったのだが、改めて今思っても、人を好きになるということはすごい力で人の習慣を変えることがあるのだと思う。

【心理療法】クライエント中心療法について

1、はじめに

 講義で紹介されるまでに私が持っていた来談者中心療法のイメージは、とにかくクライエントの自発性を大切にし、クライエントの発言を否定したり、「こうしなさい」という指示を出すことをしないというものだった。ひたすら発言を促して、クライエントに物語らせることに重点を置くのだ。心理療法の講義を聞いて、それまでに持っていたこのイメージはそこまで見当違いなものではなかったと思った。そのイメージが作られたのは、大学に入ってからの心理学の授業等で概要をさらっと説明されるのを耳に入れていたからだった。だから、そこまで見当違いではなかったのだろう。しかし、ロジャーズという人のことや、クライエント中心療法についての詳しい話は聞いたことがなかったので、この講義で聞けて、良かったと思う。漠然と言葉は知っているだけという概念について、きちんとした知識で整理されるのはとても勉強になる。

2、クライエント中心療法の理論

「グロリアと3人のセラピスト」では、グロリアとの対話に入る前に、ロジャーズ自身が来談者中心療法とはどのようなものであるかを説明している。それによると、セラピストが来談者中心療法でクライエントの話を聞くときに大切にしているものは、三つある。

ひとつは、「純粋性」であり、カウンセリングの中でセラピストが自分の感情や態度などの流れに気付いていることだ。このことは、「自己一致」や「透明であること」とも言われる。ただし、ありのままに感情のすべてをさらけ出して伝えるのではなく、クライエントに伝えるべきことや、伝えておかなければ支障が生じると判断されることというように、必要に応じた場面ごとの対応が求められる。

ふたつ目は、「無条件の肯定的配慮」だ。クライエントの態度や条件に左右されることなく、相手に思いやりと積極的関心をもって接し、ひとりの独立した人格として配慮することである。

そして三つ目は、「共感的理解」といい、クライエントの体験や内的世界を、あたかも自分のものであるかのように感じ取ろうとすることだ。これは、相手の目線で相手の心の内面を感じ取ろうとする試みであると言える。

以上の三点を大事にした態度でセラピストが話を聞くことによって、クライエント自身のうちで必要な変化は自然と起こると考えるのが、来談者中心療法の理論である。私は、「グロリアと3人のセラピスト」の映像の中で、ロジャーズが「あなたの助けになりたいのです」とグロリアに言った場面が特に印象に残った。ロジャーズの柔和な顔つきや、ゆったりとして穏やかな話しかたはもとより、この「あなたの助けになりたいのです」という言葉は、先のセラピストの態度にとって重要な三点を、よく表していると思われる。

また、グロリアはロジャーズに「あなたは自分のとるべきことを知っていますよ。どうぞ、そのようにおやりなさい」と言われているように感じている。来談者中心療法が強調するのは「カウンセラーが提供する操作的でない人間関係のなかで、人間が本来持っている自己実現傾向が開花していくこと、これこそがクライエントにとって本物の治療的変化であり、そのためには、クライエントの心理的成長が醸成されるような、安心かつ受容的なカウンセリングの場を強調すること」(プリントより引用)という点だ。グロリアがロジャーズの態度から感じ取った事柄は、まさにクライエント中心療法の持っている人間観、それまでの方法のようにクライエントの問題や生育歴などを分析し、原因ならびに処方を指示しようとするのではなく、クライエントのなかにある成長力を信頼するということなのである。

3、クライエント中心療法歴史

クライエント中心療法は、その歴史的発展において、初期・中期・後期の三つの時期に分けられる。初期は1940年代で、非指示的療法の時期だ。この時期に、カウンセラーがクライエントに助言や解釈などの指示を与えないやり方が、クライエントの言葉のくり返しや、感情の反射や明確化といった技法とともに示された。

中期は1950~1957年で、クライエント中心療法の成立と発展の時期だ。ここでは、クライエントの成長力を尊重するカウンセラーの態度が、三条件として明示された。また、心理的不適応な状態を、自己概念と経験の大幅なずれにあるとした、パーソナリティ理論としての自己理論も打ち出された。カウンセリングの目的は、この自己概念と経験のずれを一致させることであり、カウンセラーとの関係が安全な心理的雰囲気であるとこの一致が生じやすくなるとされた。

そして後期の1957年以降は、体験過程療法ならびにパーソンセンタード・アプローチの時代だ。ワークショップやエンカウンターグループがロジャーズ自身によって精力的に行われた、この時期については、肯定的にとらえるか、理論的展開の放棄として否定的にとらえるかで意見は分かれている。

現代において、クライエント中心療法のエッセンスは、流派を超えてカウンセラーの態度に重要なものとされる一方、古臭くてただ人を甘やかすだけのものという誤解もされがちであるそうだ。私は、クライエント中心療法が「ただ人を甘やかすもの」であるという指摘は、単なる誤解ではなく、ある一面としては的を射た批判であると思う。というのは、「グロリアと3人のセラピスト」で、ゲシュタルト療法のパールズ論理療法のエリスの映像も見てみたところ、三人との対話をそれぞれ終えた後のグロリアのコメントとして、ロジャーズは優しくて感じがとても良いので、初めてならロジャーズに話を聞いてもらいたいが、今後のために一番もっと話したいと思ったのは、混乱させ、わざとイラつかせるようなことばかりを言ったパールズだ、というものがあったからだ。クライエント中心療法は、カウンセラーの基礎的な態度として非常に重要であるが、場合によってはそれだけでは難しいこともあるのだと感じた。