哲学生の記録。

大学時代のレポート文章を載せます。

メルロ=ポンティ

【ゼミ】「眼と精神」(第5章) 終わらない絵画の探求。

存在を茂みに喩えると、奥行・色彩・形・線・動勢・輪郭・表情などはその枝であり、存在をよみがえらせられるものである。存在を茂みに喩えるのは、見えるところと見えないところが風による揺れや見る角度によって違い、繁みの奥は測り知れないという点で、…

【ゼミ】「眼と精神」要約③ 絵画における「運動」を、ロダンの言葉を手掛かりに。

(『眼と精神』p.292~295) 絵画の作りだしたものは、これまでに述べたような〈線〉のほかに、〈位置の移動なき運動〉もある。絵画は画布や紙の上で起こるものであって、動くものは生み出されない。移動することなく運動を表わすやり方には、痕跡によって移…

【ゼミ】「眼と精神」要約②

(279〜283ページ) 前段落で、視覚には二種類のものが考えられることがわかった。ひとつは、デカルトに由来する「私によって反省された視覚」であり、もうひとつは「実際に起こっている視覚」である。しかし、この後者の事実的視覚や、その視覚に含ま…

【ゼミ】「眼と精神」要約①

(段落11~14?) 身体の謎と絵画の諸問題は、同じところにある。 身体が見ることができるのは、物だ。物が見えるのは、セザンヌが「自然は内にある」と言ったように、身体がそれを見るからだ。そこにあるものが身体のうちに呼び起す反響を迎え入れるこ…

【現代哲学】隔たりへの応答 ―レヴィナスの他者論について―

1、「他者」は「絶対的に他なるもの」 レヴィナスにとって「他者」とは「絶対的に他なるもの」である。それは、私の予測を常に超出して同化を許さないものであり、決して自我の自同性に回収されることはない。自我にとって捉えきれないものとしての他者はサ…

【現代哲学】メルロ=ポンティの他者論  〜共存する主体という事実〜

1、メルロ=ポンティ他者論は、サルトルの批判を起点とし独我論を脱する メルロ=ポンティの他者論は、サルトルの他者論を批判するところから始まる。サルトルは、人間の実存を、意識的存在である対自存在としてのありかたと物的存在である即自存在としての…

【現代哲学】メルロ=ポンティの哲学テーマと言語表現

1、哲学者は詩人でありうるか? メルロ=ポンティが自らの哲学的問題を考察するときに使用する言語が「詩的」だという指摘がある。言語とは何かという問題をあくまでも哲学的に探究した言語論展開者の言語表現が、一見したところでは哲学とまったく異なる営…

【現代哲学】現象学と言語表現 ーメルロ=ポンティとサルトルよりー

1、メルロ=ポンティの哲学が「詩的」である理由 メルロ=ポンティが自らの哲学的問題を考察するときに使用する言語が「詩的」だという指摘がある。言語とは何かという問題をあくまでも哲学的に探究した言語論展開者の言語表現が、一見したところでは哲学と…