哲学生の記録。

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2018-12-28から1日間の記事一覧

【哲学基礎演習】魂の不死の証明(ソクラテス「哲学者は死を恐れない」)

1.魂は死んでも消えない プラトンの『パイドン』の中で、ソクラテスは「知恵を愛する哲学する人は、死にむかって恐れることはない」という。哲学することとは、肉体にまつわる快楽から離れ、魂の状態に近づいて知恵を目指すものであり、死こそはまさに肉体…

【博物館実習】博物館学芸員の資格について

私が博物館学芸員の資格取得を目指しているのは、博物館という場所が好きであり、そこでできることに大きな可能性を見るからである。博物館では、物が大切にされている。私は物を大切にするのが好きなので、物が大切にされている場所は心地よく感じる。そし…

【民俗学】伝統食について

主食のタロイモを手放したハワイの先住民の心臓病罹患率は、米国平均の2倍、糖尿病は7倍だという。日本の場合も、世界一の長寿を実現した理由は何であったのかと考えると、それは医療技術の進歩のためだけではなく、魚と大豆と米を中心にした伝統食の要因も…

【西洋近世哲学史】カント『純粋理性批判』におけるカテゴリーの客観的妥当性について

1.哲学することと、哲学を研究すること 哲学することは自己探求することであり、対自的に思惟することである。哲学を研究することと哲学することの間には大きな隔たりがある。というのも、哲学することは自らの身をもってそのように生きることだからである…

【西洋近世哲学史】デカルトの方法的懐疑から(思惟の傾向と存在への希望)

1.何もかもが疑わしい(日常生活は別として) デカルトの方法的懐疑は、疑えないものを見つけるためにあらゆるものを疑ってかかるという姿勢だ。デカルトがしたかったことは疑えないものを見つけることであったために、少しでも疑わしいことは、すべて虚偽…

【宗教哲学】カント『純粋理性批判』(挑戦の軌跡)

1.はじめに言い訳(よくわからなかったけど、がんばって解釈してまとめてみたよ) 私は、カントの『純粋理性批判』についてレポートを書く。とはいえ『純粋理性批判』を読んでみてわかったことは、この著作は私の歯がそう簡単に立つような代物ではなかった…

【宗教哲学】理性と信仰(共になくてはならぬもの)

1.哲学は理性を、宗教は信仰を 哲学は理性を、そして宗教は信仰を、それぞれの心的活動を行ううえでのよりどころにしている。このことをP.Tillichは「哲学は根底から問うという姿勢、すなわち、問うということに関しても問うような姿勢であり、また、すべ…

【英書講読】芸術作品に対する感受性は教育を必要とするか

1.感受するとはどういうことか 芸術作品に対する感受性は教育を必要とするのか。感受性とは『広辞苑(第五版)』によると「外界の印象を受け入れる能力。ものを感じ取る力。感性」のことである。なので、芸術作品に対する感受性というのは、芸術作品に接し…

【英書講読】応用倫理の特徴

1.応用倫理とは 応用倫理は、具体的で議論の余地のある道徳的問題(例:妊娠中絶、動物の権利、安楽死など)の分析からなる倫理の分野だ。 近年、応用倫理の問題は、手頃なグループへと再分化した。 →医療倫理、企業倫理、環境倫理、性倫理など。 一般的に…

【人文演習】カウンセリング技法について(心の問題の解決とは何か)

1.カウンセリングは心の問題を解決するか 大学が用意している「カウンセラー」という人のもとに行ったことが、一度だけある。相談内容は「おやつを食べるのがやめられない」というものだった。冗談ではない。真剣に悩んでいた。その真剣の悩んでいた折に、…

【人文演習】人間のユニークさ

1.はじめに 幸福論を追っていったら「人間とは…」という論点があまりにも多いことに驚いた。それは、人間には「子孫を残す」ということ以外に何かこの世に生を受けた目的があるはずで、その目的に沿ってことこそが人間の幸福なのだという考え方だ。 2.人…

【英書講読】「嘘も方便」は道徳的に許されるのか

1.「嘘をついてはいけない」のか「嘘も方便」なのか 小学校もしくはもっと幼い頃から、わたしは「嘘をついてはいけない」ということをわかっていた。おそらく、初めてついた嘘がばれて「嘘をついてはいけないでしょう」と怒られるよりも以前にわかっていた…

【発達と学習の心理学】学校への携帯電話持ち込みについて

1.非常時に備え、持ち込みは許可 私は児童が学校へ携帯電話を持ち込むことに関して、持ち込みは許可すべきであるが、非常時以外は登下校中や校舎内では電源を切っておくよう義務付けるのが良いと考える。 なぜ持ち込みを許可すべきかというと、それは携帯…

【哲学基礎演習】カント『純粋理性批判』岩波文庫第二版(1786年)序文要訳

理性の営みに属するところの認識を取り扱う仕方について、学として確実な道を歩ませる。 論理学は学として確実な道を歩んできたが、というのも論理学が認識の対象とその差別とを度外視する権限を持っているからであり、それによって論理学において悟性は悟性…

【宗教哲学】西田幾多郎という人「学問は畢竟lifeの為なり」

1.枯れ草を食む彼の文章は(西田幾多郎という人) 西田幾多郎は『善の研究』の序文の終りにゲーテの「ファウスト」よりメフィストの言葉を引用する。「思索などする奴は緑の野にあって枯れ草を食う動物のごとし」(1)。それは病かはたまた罰か。西田は「…