哲学生の記録。

大学時代のレポート文章を載せます。

【哲学基礎演習】魂の不死の証明(ソクラテス「哲学者は死を恐れない」)

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)

1.魂は死んでも消えない

プラトンの『パイドン』の中で、ソクラテスは「知恵を愛する哲学する人は、死にむかって恐れることはない」という。哲学することとは、肉体にまつわる快楽から離れ、魂の状態に近づいて知恵を目指すものであり、死こそはまさに肉体から解放され魂の状態になることだからである。ケベスはこれに対し、「魂は死によって肉体と分離した途端に消えてしまうのではないか」と心配する。ソクラテスは、死と生が反対のものであることから、死の世界であるハデス、一般的にあの世と言われるものが存在することを証明してみせる。そしてそれより、魂は何度も生まれ変わる。我々の学習は想起に他ならないという想起説もまた、生まれる前から知識を持っていたということになれば生まれる前に魂がいた場所があるということになり、この論を裏付けるものである。

 

2.練習していれば自縛霊にならない

しかしケベスはさらに、「魂が肉体に入る以前にどこかほかのところにあったとしても、それは魂が肉体を離れた以後もその場所に戻ることを意味するとは限らない」とソクラテスにさらなる証明を迫る。ソクラテスは、存在するものを、常に同一であり不可視的なものと同一のありかたを保たず可視的なものに二分したとすると、魂は前者に似ており肉体は後者に似ているという理論で、だから魂は決して解体されないか、もしくはそれに近くあることがふさわしいと証明する。そして、生前から魂が肉体から離れる練習となる哲学をしてきた人の場合は、いざ死によって実際に肉体から解き放たれたときに神的で不死で賢いもののほうに近づいていき幸福になるが、肉体的なもの以外のものを真実ではないと思い込んだまま死に至った人の場合は自縛霊になると言う。

 

3.ハルモニアーは楽器から生じるが、魂は肉体から生じるわけではない

ここでシミアスとケベスがそれぞれ異論を唱える。シミアスは、ソクラテスのいう肉体と魂の関係は、可視的で物体的である竪琴や弦と不可視的で非物体的であるハルモニアーの関係と同じようなものだと考えられると指摘し、もしも魂が何らかのハルモニアーであるとすれば、魂は肉体のうちにある諸要素の混合だから、死に際して真っ先に滅亡するという主張が成り立つのではないかと言う。一方ケベスは、肉体と魂の関係を衣服と機織り職人の関係にたとえる。機織り職人は数多くの衣服を着つぶしては織りあげるが、最後の衣服よりは先に滅び去る。このように魂は何度も生まれ変わりはするが、しかし何度目かの死に際して全く消滅してしまうとしたら、今度の死が自分の魂にとって最後の死かもしれないと思い恐れるのは無理もないということだ。

ソクラテスは言論の重要性を説いたのち、二人の反論に答える。まずシミアスへの返答として、竪琴や弦とハルモニアーの関係は、竪琴や弦がまずあって、それから音が生じ、その合成として調和ができるというものであるが、これが肉体と魂をたとえるとすると、肉体がまずありその中に魂が生まれるのだということになるが、その考え方は学習とは想起であるという想起説と相容れないと言う。シミアスは想起説を受け入れているため、これを聞いて、魂が調和であるという説は受け入れることができなくなった。

 

4.魂は生であり、生と死は反する、よって魂は死なない

ケベスの反論は、生成と消滅について、その原因を徹底して論究することを要求するものだった。ソクラテスは若いころ自然学に熱中し、しかし一と一を合わせたら二になることや、一を二つに分けると二になることの原因が説明されないということから、自然学的な方法によっては何ごとについてもなぜそれが生成し滅亡するのかは確信できないと気付いた。また、アナクサゴラスが「万物の原因はヌース(理性)である」と言ったにもかかわらず、もろもろの事物を秩序づけるために「理性」にはいかなる原因も帰さずに、空気やアイテールや水などといった見当違いなものを原因としたことも、ソクラテスを自然学に失望させた。しかし存在するものの原因を探究したいという思いはなくならず、ソクラテスは言論(ロゴス)の中で存在するものを考察することにした。 美しいものは美そのものを分有することによって美しいが、『大』や『小』の場合は、『大』によって大きいものが大きく『小』によって小さいものが小さいわけではない。一方が『小』であることによって他方が『大』になり、逆に一方が『大』であれば比べられる他方は『小』になるのである。このように、反対の性質をもつものは相互に反対のものを受け入れない。これと、身体のうちに魂が生ずるとそれは生きたものとなり、生の反対は死であるということを併せて考えると、魂は自分が常にもたらす生と反対のものである死は決して受け入れないということになる。よって、死を受け入れない魂は不死であるという結論に至る。

 

 

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)