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【ゼミ】『方法序説』はデカルトの思考方法を示す

方法序説 (岩波文庫)

1.方法序説』は、その考え方によって古典的名著となる

方法序説』は『広辞苑』によると、1637年に刊行されたデカルトの主著であり、「スコラ学をしりぞけ、明晰判明を基準として一切を方法的懐疑に付し、自我の存在を確立し、近世哲学の礎となった」(1)ものである。このように『広辞苑』に収録されていることからもわかるように、デカルトの『方法序説』は古典的名著であるといえる。しかし、では、何がこの著作を後代にまで読み継がれるものと為したのかと考えると、私にはそれが「スコラ学をしりぞけ、自我の存在を確立した近代哲学の礎であるから」という理由にはないように思われる。

フォントネルによれば「デカルト氏以前は人びとは気楽にものを考えていた。この人を持たなかった過去の時代は幸せだったと言わねばなるまい……思うに彼こそは新しい思考の方法をもたらした人であり、この方法は、彼が教える規則そのものに照らしてさえ大部分誤りであるか、あるいは極めて不確実である彼の学問そのものよりも、はるかに大きな価値を持っているのである」(2)。フォントネルがこう述べているのは、デカルトの死後わずか38年にしてのことである。これを受けるようにして田中仁彦は「デカルトの名を不朽たらしめたのは、フォントネルの言うとおり、「大部分誤りである」ような彼の学問そのものではなく、その根底をなす「方法」であった。事実、『方法序説』と言えば、今では「方法」について語られているその本文だけのことであり、彼がこの本文に付した『屈折光学』、『気象学』、『幾何学』は、特殊な関心を持つ人以外からは全く読まれなくなってしまっている」(2)と言う。デカルトの学問というのは、残念ながら死後38年にしてデカルトの後継者を自任するフォントネルに「大部分誤りである」と言われるようなものであったのであり、その学問の誤りを指摘するには今日の科学的知識を詳しくは理解しないものにさえも容易であり、彼の研究内容で今日も読まれるものはないのだった。それでは、デカルトの名を不朽たらしめたものである「方法」とは何かというと、それはデカルト自身の精神の歩みである。「「方法」とは結局、彼のこの精神の歩みが示している具体的な思考の過程に他ならない」(3)のである。

「生きることがすなわち考えることであり、考えることがすなわち生きることであった一つの人生を描き出したことによって、『方法序説』はまさに不朽のものとなったのだ。なぜなら、それが教えてくれるのは彼の考えた結果ではなく、考えることそのことなのだからである。そんなすぐれた人間でもその生きた時代に閉じ込められている以上、その中で考えたこと――思想――はその時代とともに過去のものとなってゆかざるを得ない。だが、一つの歴史的状況を激しく生ききった英雄たちの生涯が時代を超えて感動を与えつづけるがごとく、一つの時代の課題を一身に背負い込み格闘した思考の軌跡は、永遠に考えるとは何かを教えつづけるのである」と田中は言う(4)。『方法序説』は現代においても読まれる価値のあるものであり、現代の人間であってもデカルトから学びうることは大いにある。その理由は、「近代精神の確立を告げ、今日の学問の基本的な準拠枠をなす新しい哲学の根本原理と方法が、ここに示され」(5)ているからではない。むしろなぜこの著作が読み継がれ、近代哲学の礎であると言われるのかを考えてみると、それはデカルトが考えた内容やその結果のためではなく、彼の考えた方法の軌跡、考えることに対する姿勢のためであるとしか思えないのだ。

そして、人間の考えることというのは時代を超えてもさほど変わっていないように思われる。もしかしたら変化しているのかもしれないが、言葉を読み取ることができるということ、先の時代を生きていた人々もおそらくは私たちと同じようなことで悩み、生きていたのだと信じられるので、その意味で人間の思考の方法というのはある程度一定の枠の中から出ることはできないのだと考えられる。そして私はそれを、別に悪い意味や限定されているという風に言いたいのではない。人間の思考の軌跡に一定のくせのようなものがあるのだと仮定すると、たとえば『方法序説』というデカルトという人間の考えたことそのことを著した書物は、それを読む私に、私自身が考えるそのことについての反省を促す反射鏡のような役割を担いうるのである。

 

2.思考の軌跡に示されるデカルトの考える方法

デカルトが探求した方法の規則は、四つある。「第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと」「第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること」「第三は、わたしの思考を順序に従って導くこと」「最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信すること」(6)である。デカルトが思索の段階で、この自らが打ち立てた規則をすべて厳密に遵守できているかどうかは、おそらくは副次的な問題である。わかっていることでも、実際にできるかどうかというとなかなか難しいことは多いからだ。問題は、デカルトが真理を見出すための方法の規則として挙げる四つが、私から見ても、確かにこれを本当にしっかり守って推論を重ねることができたならば、その思考は誤りのないものとなると思われることである。奇しくも、この四つの規則を挙げたあと、デカルトは「人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている」(7)という。人間の認識がある共通した同じやり方でつながっているのかということは、どうにも確かめようのないことではあるが、言葉が通じるということや、他者の言葉に納得するといった経験から、そのような一般的な枠組みがあるのだという可能性を推測することはできる。デカルトの見つけた「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」という真理はまさに、では「考える」とは何をすることなのかを考えさせるものだ。私とは何かを考えたとき、「どんな身体もなく、どんな世界も、自分のいるどんな場所もないとは仮想できるが、だからといって、自分は存在しないとは仮想できない。反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。逆に、ただ私が考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものが真であったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる」(8)。私とは何かと考え、それが考えるものであるという答えが発見され、しかもその私というのは考えることをやめるだけで存在するとは信じられなくなるようなものなのであれば、では考えるとは何であるかという問いが生まれるのは当然のことである。だが、デカルトはすでにその問いに答えている。先に田中が言うように、『方法序説』全体がつまり、デカルトの考えることそのことをそのまま表しているからである。方法序説』は、考えるとは何かに答えを与えようとするのではなく、考えて見せることによって、言外にデカルトという一人の考える人間の姿、すなわちそれがリアルな答えとなるところのものを提示して見せているのである。

デカルトにとって考えることとは、ひとりで道のわからない暗闇を歩くようなものであった。「現代のわれわれから見れば、デカルトは機械論的自然観を打ち立てて近代的学問に道を開いた堂々たる近代の創始者である。だがそれは結果であって、デカルト自身はそのようなことを予想していたわけではない。彼は「明晰と確実」のデーモンに取り憑かれて「暗夜を一人行く人のごとく」さまよった末、かろうじてコギトの真理にめぐり合ったにすぎないのである」(9)と田中は言う。若いころ「一人で闇のなかを行く人間のように、きわめてゆっくり進み、あらゆることに周到な注意を払おう。そうやってほんのわずかしか進めなくても、せめて気をつけて転ぶことのないように」(10)と、デカルトは心に決めたそうだ。暗闇の中にいることにも気付かない人もいれば、暗闇の中では立ち尽くしてしまう人もいるし、暗闇の中だろうとおかまいなしに走りぬける人もいる。しかしデカルトは、慎重に進む人だった。しかも転ぶことを恐れながらだ。道徳上の規則としてデカルトが上げる三つの格率は、暗闇の中をそろそろと進む彼の姿をよく表していると思われる。そして、先に挙げたフォントネルの指摘によれば、デカルトの思考の方法は、人々の気楽な幸せを奪うような新しさを持ったものであったが、デカルトの思考がそのような性格を持ったのは、田中のいうところの「明晰と確実」のデーモンのためであろう。この「明晰と確実」のデーモンというのは、真理を求めてしまう狂気のようなものだろう。この狂気がおよその人の心に住んでいると断言することは難しいが、デカルトの狂気によって、たとえそれが小さな断片であろうとも自己の内の狂気をまざまざと見せつけられるとしたら、気楽な幸せのなかに浸っていることができなくなるのは必至である。

小林はデカルト哲学の体系の現代的意義として「デカルトは、みずから、新たな認識論と形而上学を設定し、そのうえに、現代につながる諸科学を創設した。しかも、諸科学を創設したうえで、その射程と限界を認識し、それとは異質なものとして具体的な人間論と道徳論を展開した」(6)ことをあげる。しかし、私が思うデカルトの偉大なところは、諸科学を創設し、人間論や道徳論をも展開したというところにはなく、そのような諸科学の創設の仕方や、人間論・道徳論の展開の仕方を開示した点にある。自分の考えたことを人に教える人はいても、自分がものを考える考え方を人に教える人は、そうそういないからである。経済の分野でも、科学技術や工業技術で特許をとった先進国は、その技術を発展途上国にも広めることはするが、技術開発の方法までも発展途上国に広めることはせず、よって利益の格差は存続しつづけるのだという説がある。このことは、言われてみればもっともなことであり、国の発展における教育の重要性を思うばかりだ。教育において重要だと言われるのは、知識をたくさん詰め込むことではなく、知識を自分のものにする方法を身につけさせることである。デカルトが彼自身の思考の軌跡を示して見せたという点において『方法序説』の貴重さは見出される。

 

<引用文献>

(1)『広辞苑 第五版』岩波書店

(2)田中仁彦『デカルトの旅/デカルトの夢』岩波書店、1989年、p.xi。

(3)同上、p.xii。

(4)同上、p.xiv。

(5)デカルト著、谷川多佳子訳『方法序説岩波文庫、1997年。

(6)小林道夫編『哲学の歴史 第五巻 デカルト革命』中央公論新社、2007年、p.266。

(7)デカルト著、前掲書、p.29。

(8)同上、p.47。

(9)田中仁彦、前掲書、p.331。

(10)デカルト著、前掲書、p.27。

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)