哲学生の記録。

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【心理療法】クライエント中心療法について

1、はじめに

 講義で紹介されるまでに私が持っていた来談者中心療法のイメージは、とにかくクライエントの自発性を大切にし、クライエントの発言を否定したり、「こうしなさい」という指示を出すことをしないというものだった。ひたすら発言を促して、クライエントに物語らせることに重点を置くのだ。心理療法の講義を聞いて、それまでに持っていたこのイメージはそこまで見当違いなものではなかったと思った。そのイメージが作られたのは、大学に入ってからの心理学の授業等で概要をさらっと説明されるのを耳に入れていたからだった。だから、そこまで見当違いではなかったのだろう。しかし、ロジャーズという人のことや、クライエント中心療法についての詳しい話は聞いたことがなかったので、この講義で聞けて、良かったと思う。漠然と言葉は知っているだけという概念について、きちんとした知識で整理されるのはとても勉強になる。

2、クライエント中心療法の理論

「グロリアと3人のセラピスト」では、グロリアとの対話に入る前に、ロジャーズ自身が来談者中心療法とはどのようなものであるかを説明している。それによると、セラピストが来談者中心療法でクライエントの話を聞くときに大切にしているものは、三つある。

ひとつは、「純粋性」であり、カウンセリングの中でセラピストが自分の感情や態度などの流れに気付いていることだ。このことは、「自己一致」や「透明であること」とも言われる。ただし、ありのままに感情のすべてをさらけ出して伝えるのではなく、クライエントに伝えるべきことや、伝えておかなければ支障が生じると判断されることというように、必要に応じた場面ごとの対応が求められる。

ふたつ目は、「無条件の肯定的配慮」だ。クライエントの態度や条件に左右されることなく、相手に思いやりと積極的関心をもって接し、ひとりの独立した人格として配慮することである。

そして三つ目は、「共感的理解」といい、クライエントの体験や内的世界を、あたかも自分のものであるかのように感じ取ろうとすることだ。これは、相手の目線で相手の心の内面を感じ取ろうとする試みであると言える。

以上の三点を大事にした態度でセラピストが話を聞くことによって、クライエント自身のうちで必要な変化は自然と起こると考えるのが、来談者中心療法の理論である。私は、「グロリアと3人のセラピスト」の映像の中で、ロジャーズが「あなたの助けになりたいのです」とグロリアに言った場面が特に印象に残った。ロジャーズの柔和な顔つきや、ゆったりとして穏やかな話しかたはもとより、この「あなたの助けになりたいのです」という言葉は、先のセラピストの態度にとって重要な三点を、よく表していると思われる。

また、グロリアはロジャーズに「あなたは自分のとるべきことを知っていますよ。どうぞ、そのようにおやりなさい」と言われているように感じている。来談者中心療法が強調するのは「カウンセラーが提供する操作的でない人間関係のなかで、人間が本来持っている自己実現傾向が開花していくこと、これこそがクライエントにとって本物の治療的変化であり、そのためには、クライエントの心理的成長が醸成されるような、安心かつ受容的なカウンセリングの場を強調すること」(プリントより引用)という点だ。グロリアがロジャーズの態度から感じ取った事柄は、まさにクライエント中心療法の持っている人間観、それまでの方法のようにクライエントの問題や生育歴などを分析し、原因ならびに処方を指示しようとするのではなく、クライエントのなかにある成長力を信頼するということなのである。

3、クライエント中心療法歴史

クライエント中心療法は、その歴史的発展において、初期・中期・後期の三つの時期に分けられる。初期は1940年代で、非指示的療法の時期だ。この時期に、カウンセラーがクライエントに助言や解釈などの指示を与えないやり方が、クライエントの言葉のくり返しや、感情の反射や明確化といった技法とともに示された。

中期は1950~1957年で、クライエント中心療法の成立と発展の時期だ。ここでは、クライエントの成長力を尊重するカウンセラーの態度が、三条件として明示された。また、心理的不適応な状態を、自己概念と経験の大幅なずれにあるとした、パーソナリティ理論としての自己理論も打ち出された。カウンセリングの目的は、この自己概念と経験のずれを一致させることであり、カウンセラーとの関係が安全な心理的雰囲気であるとこの一致が生じやすくなるとされた。

そして後期の1957年以降は、体験過程療法ならびにパーソンセンタード・アプローチの時代だ。ワークショップやエンカウンターグループがロジャーズ自身によって精力的に行われた、この時期については、肯定的にとらえるか、理論的展開の放棄として否定的にとらえるかで意見は分かれている。

現代において、クライエント中心療法のエッセンスは、流派を超えてカウンセラーの態度に重要なものとされる一方、古臭くてただ人を甘やかすだけのものという誤解もされがちであるそうだ。私は、クライエント中心療法が「ただ人を甘やかすもの」であるという指摘は、単なる誤解ではなく、ある一面としては的を射た批判であると思う。というのは、「グロリアと3人のセラピスト」で、ゲシュタルト療法のパールズ論理療法のエリスの映像も見てみたところ、三人との対話をそれぞれ終えた後のグロリアのコメントとして、ロジャーズは優しくて感じがとても良いので、初めてならロジャーズに話を聞いてもらいたいが、今後のために一番もっと話したいと思ったのは、混乱させ、わざとイラつかせるようなことばかりを言ったパールズだ、というものがあったからだ。クライエント中心療法は、カウンセラーの基礎的な態度として非常に重要であるが、場合によってはそれだけでは難しいこともあるのだと感じた。