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【哲学基礎演習】ティム・クレイン『心は機械で作れるか』のまとめ

心は機械で作れるか

第1章「心はどのようにしてものを表象できるのか」

心的表象、あるものが別のものを表象するとはどういうことなのか。

  中世・ルネサンス「生物的世界像」

    ↓

  17C科学革命「機械的世界像」

ものが様々なふるまいをするのは、各々のものが自然法則にしたがって一定の仕方で因果的に動かされるから。(還元主義:あるものを完全に説明するとは、最終的には物理学によって説明すること)

 自然=一種の機械 →心は自然の中にある機械

 

<心の機械説>

・単なる機械がどうやって意識を持つのか。

・単なる機械がどうやって事物について考え、事物を表象できるのか。

・ 表象(言葉、絵、記号…)はそれ自身では何も表わさず、心が与える解釈が必要。

 

第2章 表象を理解するためには、心の表象的な状態(思考)を理解しなければならない。

心身問題 我々は単なる物質でなくてはならない一方、ただの物質ではあり得ない。

 

唯物論 

 「灰白色の水っぽいヨーグルト状の1kgほどの物質」がどうやってあなたの思考を構成するのか。

二元論 

 デカルト「魂の本質は考えること」⇔「どうやって魂が考えることができるのか」 満足のいく答えではない。

 

心について何を知っているか。 ←どうやって心について知るか。

自分と他人の心を知る方法は、まったく対称的ではない。(姿勢を知るための観察の必要の有無)

 

行動主義 心を持つということは観察可能な行動に尽きる。

思考の因果説 心的状態が行動の原因である。

理論説 常識心理学は一つの理論であり、心的状態の(正しい、完全な)理論は、心的状態について知りうるすべてのことを我々に教える。思考する他人を解釈できるためには、思考と行動との関連に何らかの規則性(合理的な、道理にあった…)があると仮定しなければならない。人々の行動を決めるのは、人々が世界をどんなものと考えるかということ。(実際はともかく)

「信念は欲求と結びついて、欲求の達成または充足を引き起こす」

シミュレーション説 人の心を知ることは、想像の中で他人の心の中に身を置き、結果として起こる行動を予測し説明する技能。

 

問(1)コンピュータは考えることができるか。

コンピュータでありさえすれば考えることができるか。

チューリングマシン(あるあり得る機械を抽象的・理論的に定めた仕事書き)

機械が何をするか←その機械への現在の入力+その機械の現在の状態

あるシステムがある関数を例示すること(惑星)と、計算すること(加算機)の区別

コンピュータであるために重要なこと=それが何をするか

*思考の本質=人間のように思考すること

 我々が考えるようなやり方以外で考えることはできるのか。

 

「コンピュータは考えることができない」の主張

①特定の規則から離れられない。

②「中国語の部屋」 ただ記号の形式的特徴に従って記号を操作しているだけで、記号の意味がわからない。

 

問(2)人間の心はコンピュータか。

現実の心的状態や心的過程の中には、計算的なものがあるか。ある。

心を機会と見る立場は、心がどのようなものと思われるかに関する常識的立場から出発しているけれども、最終的には心がどのようなものと思われるかということを無視するようなことを言い、常識の中にあった出発点を離れることになる。

 

(参考文献)

ティム・クレイン著、土屋賢二監訳『心は機械で作れるか』勁草書房、2001年。

 

心は機械で作れるか

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