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【西洋文化史概説】ミシェル・フーコー『狂気の歴史』の概要と書評

狂気の歴史―古典主義時代における

≪選択テーマ≫

文化史の発展、あるいはそれに貢献した諸研究の書評。

 

≪書名≫

ミシェル・フーコー著、田村俶訳、『狂気の歴史―古典主義時代における』新潮社、1975年。

 

≪概要と構成≫

1.『狂気の歴史』とは何か

『狂気の歴史』の主張とフーコーがこれを著した動機は、冒頭のパスカルからの引用が、もっとも端的によく表していると思われる。「人間が狂気じみているのは必然であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」とパスカルは言う。狂気というのは、とらえ方次第ではすべての人間が該当するものであり、一般の人から区別されるような狂人というのは人間が歴史的につくった概念なのだ。

『狂気の歴史』は、ミシェル・フーコーの初期の著作であり、もともとは博士論文として書かれた研究であった。フーコーが狂気に関心を抱いたきっかけとしては、フーコー自身が青年期に直面していた精神的混乱や鬱などの要因と、1950年代半ばにパリのサン‐タンヌ病院の精神科で心理学研究を行っていたという経験に影響されていたと考えられている。特に、フーコー自身も証言しているように、実際に目の当たりにした監禁という現実は、彼に強い衝撃を与えたのであった。そこでは、監禁する側も監禁される側も、それがあたかも当然のことであるかのように過ごしていた。しかし、この行為は極めて異常な事態であり、「監禁」という実践や「狂気」という精神病理上の対象は、ある歴史的な産物にすぎないのではないだろうかとフーコーは考えた。とすれば、現在の精神病院の姿はその結果である。このような「理性」の側に身を置く医師と「狂気」の側に置かれた患者の間の線引きは、いつごろから、どのような歴史的背景を持って成立したのだろうか。歴史をさかのぼって具体的事例を比較検討し、これを考察した研究の結果が『狂気の歴史』なのである。

 

2.<一般施療院>が象徴する社会的感受性

副題に「古典主義時代における」とあるように、フーコー古典主義時代に注目する。それは、この時代が「狂気と理性のやりとりが言語活動を変化させる、しかも根本的に変化させる時期をまさしく包括している」(p.13)からである。狂気の歴史におけるこの変質を特徴づける事件として、1657年の<一般施療院>の創設と貧民の大規模な監禁、および1794年のビセトール収容施設に鎖で繋がれている人々の釈放という出来事に、フーコーは注目した。特異で対照的なこの二つの事件によって、現在に至るまでの西欧世界における狂気の扱われ方の変遷を、歴史的に考察したのである。

では、<一般施療院>が創設される以前には、狂気はどのように考えられ、扱われていたのかというと14世紀から16世紀にかけての西洋は、ルネサンス期である。フーコーによれば、この時代には、狂気は無秩序のあかしではあるが、それゆえ文化を担う積極的な原動力でもあった。狂気は理性のおこなう仕事の、過酷だが本質な契機であると考えられていたのだ。狂人たちは今よりもはるかに社会に溶け込み、受け入れられていた。

ところが、1656年パリに<一般施療院>という施設が設立される頃になると、狂人たちを取り囲む社会的環境は一変し、彼らは閉じ込められることになる。「そこでは、事物や人間に取り囲まれて、狂気は、真と空想の目印を混ぜかえす徴表であり、大いなる悲劇的な威嚇の思い出をほとんど残していない」(p.59)のである。阿呆船は、もはや見られなくなる。古典主義時代は狂人を船で輸送することはなく、<施療院>という広大な監禁施設に閉じ込めた。この施設は、失業解消と物価の取り締まりという役割を期待されてつくられた制度であったので、狂人はここで労働に従事することもあったが、この目的は失敗に終わった。

フーコーがここで指摘するのは、時代の社会的感受性の変化である。この感受性は、その時代に特有なものであるので、古典主義時代の感受性はわれわれにとっては区別されないが、古典主義時代の人間には明確に識別される知覚のようなものである。つまり、この時代の人間は、狂人とそうでない人を見分け、狂人を監禁していたわけだが、狂気とみなされた一群にどのような特徴があったのかというと、時代を超えた我々にはそれは識別できない違いなのだ。

では、<一般施療院>が象徴するこの感受性の変化というのがどのようなものであったのかというと「文芸復興までは、狂気に対する感受性は、想像上のさまざまの超越的なものの現存と関係があったけれども、古典主義時代よりのちには、しかも初めて狂気は、怠惰にたいする倫理上の非難を通して。また労働中心の共同体によって守られている社会に内在する性格のなかで知覚されるようになる」(p.90)。中世において、狂気はある種の神聖なものとして扱われていた。狂人の悲惨さは、別世界からやってきたものとしてもてなされていた。しかし、狂人を閉じ込める古典主義時代は、労働中心の共同体によって守られている社会なのであり、そこでの狂気は貧乏と無為とみなされ、狂人を貧乏人、あわれな人、放浪者などのこの世界の悲惨な人の仲間としてしまうのである。

 

3.非理性的なものを排除する社会

このような感受性の変化は、哲学におけるデカルトの理性の考え方にも表れていると考えられる。デカルトの少し以前のモンテーニュは、自分が夢を見ているのではないか、あるいは自分が気違いなのではないかという問いには確信を持って答えることはできないとしたが、デカルトは、理性的主体が狂気のうちにあるということはそもそも可能ではないとした。狂人たりえない不可能さは思考する主体の本質であり、人は、自分が狂人であると思考によって規定することはできないのである。これはまさに、自己を理性的存在として考えることであり、主体の概念のなかから狂気を排除したという点で、街のなかから狂人を隔離した古典主義時代の人々の主体観を象徴しているといえるだろう。この感受性においは、自らを理性の側に置き、ある一線を画し、狂気を選択、追放することによって、理性による狂気の支配が行われた。

イギリスやドイツにおいても、「感化院」と呼ばれる同様の施設の強化・再編成がおこなわれ、18世紀末にはヨーロッパ中で監禁が実践される。監禁施設は、古典主義時代に固有の独特な感受性を表す空間であると考えられる。つまり、非理性を一つの社会空間に閉じ込めようとした感受性である。

狂気だけでなく、妖術、魔術、占い、錬金術なども裁かれ社会から排除されたが、その裁かれる理由というのは、以前考えられていたように恐ろしい魔力を持っているからではなく、狂気の場合と同じく、非理性的であるからという理由になった。この「非理性的であるかどうか」というのがどのように判断されていたかというと、社会規範に対するある種の距離によってであった。阿呆船に乗り込まされる狂人は、普遍的な形式における悪についての意識に基づいて指名されていて、抽象的な人間類型に分けることができたが、監禁される狂人は、社会的一領域にある具体的な人間だった。非理性的な実在というのは、確かに偶発的には病気または犯罪に達する場合もあるが、元来はそのどちらにも属していないのであり、つまり彼らは、ただその可能性があるというだけの理由で社会から疎外されたのだ。

 

≪評論≫

狂気というのは、ある意味すべての人間が該当するものである。理性と狂気が相反するものであるというまさにその理由から、二項の対立は双極が存在するのが不可欠の条件であるので、理性がある以上狂気が考えられなければならないのである。一般の人から区別されるような狂人というのは人間が歴史的につくった概念なのだということであり、フーコーの分析を見ると、狂気という概念はまったくといっていいほど、歴史的には恣意的に捉えられてきたように見える。

『狂気の歴史』が、さもそれが当然であるかのように、狂人を監獄に閉じ込めるというふうに非人間的に扱うことがおこなわれている事態に疑問を抱いたことに端を発する研究であったことを思えば、結果としてこの研究によって「狂人」の概念の枠組みが固定的であるかのように扱う神話を揺らがせることには十分成功していると言えるだろう。

恐ろしいのは、「狂人」という枠組みに入れた人々を社会から排除する、社会を構成する普通の人々の無意識さである。フーコーは「正常人というのは一つの創作物」(p.152)であると言っている。狂気のとらえられ方が歴史によって変化してきたことから見るに、正常人というのも歴史的恣意性を持った概念であることは疑われないだろう。しかし、狂気に近づいた理性が「正常」という概念に疑問を抱かざるを得ないのと同じくらい確かに、自分が「正常」だと信じて疑わない人々は「正常とは何か」などとは決して考えないように思われる。古典主義時代に監禁される対象となった「非理性」は、社会規範からの距離によって判定されていたというが、社会規範というのがつまるところ、非常に歴史的恣意性に流されやすいものなのである。

『狂気の歴史』は、理論的にもしっかりしていて、歴史的に流れを順に追いながら具体的事例を豊富に挙げて、はっきりとテーマのわかる問題が検討されている。具体的事例は証拠として非常に参考になるが、これを抽象的な理論とフーコーがどのように結びつけて展開しているのかを読み解くのはなかなか難しいことである。しかし、この問題は現代にもじゅうぶんに結びつくものだ。狂気は、現代の心理学では心の異常さや問題行動として定義されているが、では問題行動とは何かと問うと、これはその特徴として見られやすいものをいくつかあげることでしか答えられないのであり、やはりそこには流動性が問題として残る。心理学では事例性といって、たとえばひとりのクライエントが異常な行動をしたとされる場合、まずはそのクライエントの行動を異常と判断したのはいつ、どこで、誰によってであり、どのような状況であったのかが吟味される。クライエントの行動を異常と判断した者のほうが、精神科医から客観的にみた場合には異常な価値観にとらわれているとみなされる場合もあるからである。しかしここでも下される判断に精神科医の個人的な主観が全く反映されないと言えば嘘になるので、正常か異常かという判断は原理的には不可能とも思われる。

善い本というのは、それを読んだ人に、読んだ人自身に関連のある問題を思い起こさせ、それについて真剣に考えることを迫る本であると、私は考えている。この本は、社会規範の歴史的恣意性の問題を、狂気と監禁という古典主義時代に実際になされていた事実への考察から証明するものであった。そこから私が考えなければならないと感じたのは、たとえば自分や誰かの考えることや行動がおかしい、もしくは以上であると私が思ったときに、それをそう考える私の思考の枠組みのなかに、現代日本の「社会的常識」という怪しげなものがどれほど入り込んでいるのかということである。正常か異常かという問題に間違いのない答えがありえなかったとしても、その文化的恣意性を自覚しているかどうかというのは何よりも大事なことだと思う。

 

 

狂気の歴史―古典主義時代における

狂気の歴史―古典主義時代における