哲学生の記録。

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【ゼミ】自同性の一線 〜レヴィナス「逃走論」より〜

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

1.前近代の西洋哲学は存在の自足せる安逸を前提としており、自我から出られない

西洋哲学は、自我から出られない全体性にすべてを包み込む危険をはらんでいると、レヴィナスは指摘する。というのも、平和と均衡を理想としている西洋哲学は、存在の自足せる安逸を前提としているからである。自我を自足した安逸と考えているものの例として、レヴィナスブルジョア精神とその哲学を挙げて「自我について自足した安逸という考えを持っているブルジョアは、いかなる内面的分裂を打ち明けることもないし、自己への信頼を欠いていることを恥じている」(145)と説明する。自足した安逸としての自我とは、すべてがそのなかに定立されるところのものであり、すべては自我にとって存在しているところのものであると考えられる。また、何よりも明日の確実性・現在の保証を望む「ブルジョアの所有本能は統合本能であり、その帝国主義は安全性の追求である」(145)とあるように、自我を自足した安逸としてとらえると、自我は自我と対立した世界を自己自身へと統合し、そうして自我のうちを平安に保とうとする。「こうして未来は過去へと統合される」というのも、自足した安逸としての自我は、未来として現れる不確定で予測不可能な要素を、安逸して定まっていてよく知られたものと信じられている自己自身へと統合するからである。

 

2.主体は存在から逃走することができないという二十世紀の問題

近代以前の哲学はこのように存在の自足せる安逸を前提としていたことから、主体と世界を調和し、平安と均衡を保つことを理想としていた。それゆえに、「人間の条件の不充足が、存在に課せられたひとつの制限として以外の仕方で理解されたことは一度としてなかった」(146)のであり、その場合にはいかにこの制限を超越し、制限のない無限な存在と合一するかのみが問題とされた。しかし二十世紀の感性によって、存在のうちにある制限以上に深刻で本性的な欠陥が見てとられた。それは「制限という観念が存在するものの実在・実存に適用されうるものではなく、単にその本性にのみ適応されるということ」が確信されたことから始まる。

存在するものの本性とは、「主体を引き裂き、人間の内部で自我を非‐自我と対峙させるような闘争を超えたところに、主体は単純なものとして存在する」(144)といったときの非‐自我と対峙する自我ではなく、単純に存在する主体そのものであるととらえることができる。単純に存在する主体というのは、自我と非‐自我という対立を超えたところにいる主体のことであり、自己のうちにあるすべてのものをして自我と非‐自我とに分けている働きを担っている主体のことである。そして、現代文学があらわにした不安、レヴィナスが「逃走論」で論じている「逃走」という現象は、この主体が自己自身から逃れようとすることである。非‐自我と対立してある自我が自己自身から逃れようとするならば、自己自身に含まれる要素を非‐自我に移すことや、非‐自我であったものを自我とすることによって部分的には可能であるが、主体が自我や非‐自我を対峙させている当の主体自身から逃れることや、主体が自我を定立する働きをまったくやめることは不可能に思われる。つまり存在から逃走することはできないのである。

 

3.逃走は「存在の自同性」によって阻まれる

ところで、存在から逃走することはできないということが問題となるのは、主体が存在から逃走したいという欲求をもったときだが、主体はなぜ存在から逃げたいと思うのだろうか。言い換えると、逃走の欲求はいかにして生まれるのだろうか。これにこたえるのが、「存在の自同性」という性質である。存在の自同性は「存在は存在する」ということだ。そして「存在は存在する」という事実の肯定は自足している。「存在するという事実のあからさまな肯定は絶対的に自足していて、他の何ものにも準拠してはいない」のであり「ある存在に関してその実在だけを考えるかぎり、存在は存在するという肯定につけ加えるべきものは何もない」(146)という、存在と存在することについてのこのような関係が「存在の自同性」と言われるものである。「自同性は、存在するという事実の自足せる安逸の表現であって、誰も、その絶対的で決定的な性格を疑問に付することはできないように思われる」(146)というのが、従来の西洋哲学における考え方であった。しかし、ここに世紀の病として存在からの「逃走」の欲求が生まれたときに、存在は存在しないことはできないという事実は逃走の欲求をもった自我の前に不可能性として立ちはだかることになる。

レヴィナスは「実存は、他の何ものにも準拠せずに自己を肯定するような絶対者である」(151)と言う。つまり自我においては、参照するものと参照されるものが同じものなのであり、そこには自同性がある。そして、「自我の自同性において、存在の同一性が束縛という性質を持っており、その性質が苦悩のかたちを持つので、そこから逃げたくなる」のである。レヴィナスによると「逃走」は「自我が自己自身であるという事実を断とうとする欲求」(151)であるが、自我は自己自身にしか準拠せずに自己を肯定するものであることから、自我が自己自身であるという事実を断ちつつ自己を肯定することは不可能なのである。ここに自我の自同性が逃走を阻むものとしてあることがわかる。

「非‐自我の存在は我々の自由と衝突しはするが、まさにそれによって自由の行使を強調するものだった」(148)というのは、非‐自我は自我の思い通りにならないものではあるものの、自我は非‐自我との境界上でもって非‐自我の自我への統合をなしえたからである。従来は自我と非自我を対立させていたが、非自我を定立させている単純な主体にとっては、非自我も存在しているものであるので、自我と非自我の対立はそのような事実への反抗とはならないのだろう。

「逃走は存在そのもの、「自己自身」から逃れるのであって、存在に課せられた制約から逃れるのではない。逃走において自我は、自分がそうではなく、また、決してそうはならないだろうもの、すなわち無限として、自己から逃れるのではなく、自分がそうであり、そうなるであろうものそれ自体と対立するものとして、自己から逃れる」(152)のであって、自我と非‐自我とを対立させる主体としての自我は、その働きがあるかぎりでは自己自身から逃れることができないと考えられる。心理学では「欲求」というと、何か自分には足りないものがあり、それを欲しがって求める気持ちを持つことであるが、逃走の欲求はおそらくそのような「今ここにない何かが存在していて欲しい」と望むことではなく「どこかに行きたい」と望むことでもなく、「存在しているすべてのものから離れたい」というような欲求である。「人間は生来自分が望みもしなかったし選びもしなかった実存のなかに巻き込まれているという月並みな確認は、有限たる人間の場合にのみ限定されてはならない。この確認は、存在それ自体の構造を言い表しているのだ」(172)とレヴィナスは言う。不老不死に生まれたかったと望むことは、その存在それ自体の肯定でもある。しかし、存在したくなかったと望んだところで人間は自ら望んで存在し始めるわけではないし、存在したくなかったと望んでいることがすなわち現在において自己が存在しているという事実を現わしている。「実存への参入は意志に反してなされたものではない。もしそうなら、この意志それ自体の実存が当の実存に先立つことになるからだ」(172)というように、意志は実存がはじまるとともにはじまる。たとえそれが自己自身から逃れたいという欲求であっても、欲求があるという時点で逃れたいと意志している自我は実存してしまっているのである。

ベルクソンの示したように「無を思考すること、それは抹消された存在を思考すること」(173)であり、これによって思考は存在以外のものを捉えることはできないのだといえる。

「思考は実在するか、実在するとみなされたものだけしか思考できないし感じることもできない」(175)というのも、ここでいう「存在」とは一般的に言われる五感で確かめられる客観性を持ったものではないからだ。「無それ自体でさえ、思考がそれと出会うかぎりでは、実在をまとわされるからで、われわれは無条件に、「非‐存在は存在する」とパルメニデスに抗して言明するように強いられている」(175)のであって、思考される対象としてあるものを「存在する」というのならすべての観念は存在しているものとなりうる。ここからも、存在している自我がいかにも存在と分かち難い構造になっているのがわかる。

 

4.世紀の病としての「逃走」という現象

「存在するものは存在する」という事実から逃れることは可能なのかというのが問題であったが、存在するものは存在しているという事実から逃れることはできないという不可能性よりも、存在するものが存在から逃れようとする欲求をもって存在するということに、私は注目したい。存在から逃れんと欲する存在者が存在しはじめたことは、世紀の病としての「逃走」という現象であった。十九世紀までは超えられることのなかった一線を近代の感性が超えたことについて、「戦争と戦後がわれわれに知らしめた自我の存在」とレヴィナスは言うが、戦争と戦後はいったい我々に何を知らしめたのだろうか。安逸に自足していた自我から、逃走を欲求する自我への転換はどのようにして起こったのか。レヴィナスによると、「逃走」という病が姿を現すような「こうした状況は、生活の余白がだれにも残されず、誰も自分自身と距離をとる力を持てないような時代に造り出される」(147)のであるが、生活の余白や自分自身と距離をとる力はなぜ失われてしまったのかも、それを取り戻すことは可能なのかもわからない。

 

 

<参考文献>

エマニュエル・レヴィナス「逃走論」『レヴィナスコレクション』ちくま学芸文庫、1999年。()内は引用ページ数。

 

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

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【ゼミ】レヴィナス『逃走論』Ⅲの発表原稿

 

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

Ⅲ章では、欲求の構造を説明する。

 

心理学的な欲求の説明

欲求→満足の追求

   人間存在の制約としての欠如(不充足)のために他のものを求める

   欲求を全体に拡散させる不快感も、この存在の有限性をあらわすものである。

 満足の快楽=自然な充溢の回復

  ↑

欲求の不充足を、存在の不充足として解釈している。

心理学は実存と実存者を区別していない。

 

欲求の特徴である苦痛の特殊な様相

・・・不快感

   とどまることの拒否・耐えがたい状況から脱出するための努力

どこへ行くのか知らないけど脱出しようとする企てであり、脱出する先の目標は未決定。

 

欲求を満足させうる特定の対象についての意識を欠いた欲求がある。

→満足よりも解放によって克服される不快感

 

欲求⇔満足させうる対象←外来の経験と教え(勉強と教育)

・問題:欲求はこのような対象で満たされるのか?

    欲求の充足は不快感にこたえるものなのか?

 

欲求ゆえの苦痛←満たされるべき欠如を示さない。

 欲求が満足したかの確認は外部からもたらされる。

欲求=現在への絶望

 

欲求の満足は欲求を破壊しない。 欲求の再生/満足→失望

満足は欲求を鎮めるが、欲求の最初の要請である不快感は、鎮まるという平安の理想とは異なる状況を要請している。

存在の奥底にある一種の自重は、欲求の満足によって放擲されない。

 

人間における満足と欲求の不一致

 断食者の苦行⇒逃走の欲求

欲求の満足→満足が応えうる不充足とは、別の不充足を欲求に授ける。

 

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

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【ゼミ】レヴィナス『逃走論』Ⅰ前半の発表原稿

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

 

段落1  存在の観念に対する伝統的哲学の反抗

→人間的自由と存在という事実が不和だったから。

伝統的哲学においては、人間は世界と対立することはあっても、人間自身と対立することはない。主体の内部での自我と非自我を対峙させるような、自我の統一性を破壊する闘争を超えたところで、人間の主体は単純なものとして存在する。自我は自我の内の人間的でないものを一掃して自己自身と和解している。

 

段落2  18、19世紀のロマン主義

自我の自己自身との和解という理想を手放すことはなかった。闘いは、個人のヒロイズムや自分自身の現実を開花させるために、異質なものに対して挑まれる。

 

段落3  自足した安逸

伝統的哲学やロマン主義は、自我を自足した安逸と考えており、これはブルジョア精神とその哲学の特徴である。ブルジョアは内面的分裂を打ち明けない。

彼に所有を保証している現在の均衡を破るかもしれない現実と未来を憂慮しており、現在に確実な保証を求める。

ブルジョア=不安な保守主義

事業や学問への関心・・・事物ならびに事物に秘められた予見不能性への防御

所有本能は統合本能であり、帝国主義は安全性の追求である。

 

段落4  存在の自同性

自足せる安逸という範疇(categorie多義的な存在の構造を表す述語?)は、諸事物の存在がモデルになっている。

諸事物は存在する。

存在は存在する。存在するという事実の肯定は自足している。この事実を肯定するために付け加えなければならないことは何もない。

→存在の自同性(存在するという事実が自足していることの表現)

 

段落5  西洋哲学

存在主義との戦いの目的:人間と世界の調和、われわれの存在の完成

  ↑

平和と均衡という西洋哲学の理想は、存在の自足せる安逸を前提としている。

「人間の条件の不充足は存在に課せられたひとつの制限でしかない」

いかにこの制限を超越し、無限な存在と合一するかのみに関心がもたれた。

 

段落6  しかし近代の感性は!

制限はexistenceではなくnatureにのみ適応される。

→存在のうちに、制限以上に深刻な欠陥を看取した。

「逃走」(現代文学)・・・近代の感性による存在の哲学に対する糾弾。

 

段落7  逃走=世紀の病い

<逃走が姿を現す近代の生活状況>

生活の余白が誰にも残されず、誰も自分自身と距離をとる力を持たない。

万物の秩序の不可解な歯車装置に挾まれているのは、自分のことを考える自立した人格。

自分が獲得した堅固な地盤に立脚しながらも、あらゆる意味で動員可能(mobilisable)なものと自分を感じている。

この堅固な地盤が問いただされるとき→自分は究極の現実を犠牲にするように強いられていたのであり、はかない実存が絶対的なものだと自覚する。

生活における快適な遊びは、遊びを断つことができない、遊ばないではいられない、遊びに釘づけにされているという意味で、遊びとしての性格を失う。

事物が遊具としての無用性を持っていた幼年期は終わり、われわれは現実に存在しており、その存在には必ず終わりがある。

 

 

自己についての自足した安逸という考え方は、日本にもあるか?

自立した人格として歯車装置に挟まれているのは、当人にとって辛いことか?

 

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

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【ゼミ】『方法序説』第四部の発表原稿

方法序説 (岩波文庫)

方法序説』第四部(p.53 5行目~) 

神と魂の存在は、身体や天体や地球の存在よりも確かである。

夢に現れる実際とは違う身体・天体・地球も、他の思考と同様に生き生きと鮮明であり、夢の思考が他よりも偽であると分かるのは神がいるためだとしか考えられないから。

 

先の規則「われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべて真である」も、明晰かつ判明である観念や概念は神に由来するものとして真であることから保証される。

完全な存在者である神が存在する → われわれの内にあるすべては神に由来する → われわれの観念や概念は(明晰かつ判明である限り)実在であり、神に由来する → 真である

虚偽や不完全性は、われわれが完全ではないために、その点において無を分有しているからである。

 真理・完全性  神に由来する

 虚偽・不完全性  無に由来する

実在・真であるものが完全で無限な存在者(神)に由来することを知らないと、どんなに明晰かつ判明である観念も真であるとは保証できない。

 

この規則「われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべて真である」によって、夢の中でも思考することが、覚醒時の思考の真理性を疑う理由にはならないことが分かる。夢の中であっても判明な観念は真であるかもしれないし、感覚が誤りうるのは夢の中だけではなく現実でもだ。

つまり、睡眠・覚醒時にかかわらず、理性の明証性以外によってものごとを信じてはならない。想像力や感覚によるものは、どんなに明晰・判明であったとしても、理性はそれを真だとは教えない。

 

神が完全かつ真であるゆえに、われわれの観念や概念は何か真理の基礎を持っているはずだ。そしてわれわれの推論は、覚醒時のほうが睡眠時よりも比較的明証的で完全に近いため、思考の真理性は、夢のなかよりも目覚めているときの思考のほうで見出されるはずだ。

と、理性は教える。

 

考え(思考)と観念

理性は誤らないのか?

明晰判明な観念が真であることと神の存在との間に循環があるという批判

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

【ゼミ】『方法序説』第二部前半の発表原稿

方法序説 (岩波文庫)

p.20「たくさんの部品を寄せ集めて作り、いろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度が見られない」ことについて考える。

・完成度(低)

古い壁を生かしながら修復につとめた建物

村落が大都市に発展していった古い町

少しずつ不都合に迫られてつくられた法律

書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証拠もなく、多くの異なった人びとの意見が寄せ集められて、しだいにかさを増やしてきたような学問

 

・完成度(高)

一人の建築家が請け負って作りあげた建物

一人の技師が設計した城塞都市

一人の賢明な立法者の定めた基本法

一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然になしうる単純な推論

 

→「われわれの判断力が、生まれた瞬間から理性を完全に働かせ、理性のみによって導かれていた場合ほどに純粋で堅固なものであることは不可能に近い」(p.22)

 

「わたしがその時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ」

「後になって、ほかのもっとよい見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基準に照らして正しくしてから取り入れる」→このやり方によって、はるかによく自分の生を導いていくことに成功するに違いない。

 

しかし、このやり方をほかの人にも勧めるわけではない。

≪かつて信じて受け入れたことをすべて捨て去る決意をするに適さない二種の精神≫

  1. 自分を実際以上に有能だと信じて性急に自分の判断をくださずにはいられず、自分の思考すべてを秩序だてて導いていくだけの忍耐心を持ち得ない人たち。
  2. 真と偽とを区別する能力が他人より劣っていて、自分たちはその人に教えてもらえると判断するだけの理性と慎ましさがあり、もっとすぐれた意見を自らは探求しないで、むしろ、そうした他人の意見に従うことで満足してしまう人たち。

 

デカルトは2の精神に近かったが、人の考え方は様々で、他の人よりもこの人の意見を採るべきだと思われる人を選び出すことができなかったので、自分で自分を慎重に導いていくことにした。(p.26)

 

疑問点:4つ目の例に関して内省の罠があるのではないか。

P.24の「あの騒々しくて落ち着きのない気質の人」というのは誰か。

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

【ゼミ】『方法序説』はデカルトの思考方法を示す

方法序説 (岩波文庫)

1.方法序説』は、その考え方によって古典的名著となる

方法序説』は『広辞苑』によると、1637年に刊行されたデカルトの主著であり、「スコラ学をしりぞけ、明晰判明を基準として一切を方法的懐疑に付し、自我の存在を確立し、近世哲学の礎となった」(1)ものである。このように『広辞苑』に収録されていることからもわかるように、デカルトの『方法序説』は古典的名著であるといえる。しかし、では、何がこの著作を後代にまで読み継がれるものと為したのかと考えると、私にはそれが「スコラ学をしりぞけ、自我の存在を確立した近代哲学の礎であるから」という理由にはないように思われる。

フォントネルによれば「デカルト氏以前は人びとは気楽にものを考えていた。この人を持たなかった過去の時代は幸せだったと言わねばなるまい……思うに彼こそは新しい思考の方法をもたらした人であり、この方法は、彼が教える規則そのものに照らしてさえ大部分誤りであるか、あるいは極めて不確実である彼の学問そのものよりも、はるかに大きな価値を持っているのである」(2)。フォントネルがこう述べているのは、デカルトの死後わずか38年にしてのことである。これを受けるようにして田中仁彦は「デカルトの名を不朽たらしめたのは、フォントネルの言うとおり、「大部分誤りである」ような彼の学問そのものではなく、その根底をなす「方法」であった。事実、『方法序説』と言えば、今では「方法」について語られているその本文だけのことであり、彼がこの本文に付した『屈折光学』、『気象学』、『幾何学』は、特殊な関心を持つ人以外からは全く読まれなくなってしまっている」(2)と言う。デカルトの学問というのは、残念ながら死後38年にしてデカルトの後継者を自任するフォントネルに「大部分誤りである」と言われるようなものであったのであり、その学問の誤りを指摘するには今日の科学的知識を詳しくは理解しないものにさえも容易であり、彼の研究内容で今日も読まれるものはないのだった。それでは、デカルトの名を不朽たらしめたものである「方法」とは何かというと、それはデカルト自身の精神の歩みである。「「方法」とは結局、彼のこの精神の歩みが示している具体的な思考の過程に他ならない」(3)のである。

「生きることがすなわち考えることであり、考えることがすなわち生きることであった一つの人生を描き出したことによって、『方法序説』はまさに不朽のものとなったのだ。なぜなら、それが教えてくれるのは彼の考えた結果ではなく、考えることそのことなのだからである。そんなすぐれた人間でもその生きた時代に閉じ込められている以上、その中で考えたこと――思想――はその時代とともに過去のものとなってゆかざるを得ない。だが、一つの歴史的状況を激しく生ききった英雄たちの生涯が時代を超えて感動を与えつづけるがごとく、一つの時代の課題を一身に背負い込み格闘した思考の軌跡は、永遠に考えるとは何かを教えつづけるのである」と田中は言う(4)。『方法序説』は現代においても読まれる価値のあるものであり、現代の人間であってもデカルトから学びうることは大いにある。その理由は、「近代精神の確立を告げ、今日の学問の基本的な準拠枠をなす新しい哲学の根本原理と方法が、ここに示され」(5)ているからではない。むしろなぜこの著作が読み継がれ、近代哲学の礎であると言われるのかを考えてみると、それはデカルトが考えた内容やその結果のためではなく、彼の考えた方法の軌跡、考えることに対する姿勢のためであるとしか思えないのだ。

そして、人間の考えることというのは時代を超えてもさほど変わっていないように思われる。もしかしたら変化しているのかもしれないが、言葉を読み取ることができるということ、先の時代を生きていた人々もおそらくは私たちと同じようなことで悩み、生きていたのだと信じられるので、その意味で人間の思考の方法というのはある程度一定の枠の中から出ることはできないのだと考えられる。そして私はそれを、別に悪い意味や限定されているという風に言いたいのではない。人間の思考の軌跡に一定のくせのようなものがあるのだと仮定すると、たとえば『方法序説』というデカルトという人間の考えたことそのことを著した書物は、それを読む私に、私自身が考えるそのことについての反省を促す反射鏡のような役割を担いうるのである。

 

2.思考の軌跡に示されるデカルトの考える方法

デカルトが探求した方法の規則は、四つある。「第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと」「第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること」「第三は、わたしの思考を順序に従って導くこと」「最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信すること」(6)である。デカルトが思索の段階で、この自らが打ち立てた規則をすべて厳密に遵守できているかどうかは、おそらくは副次的な問題である。わかっていることでも、実際にできるかどうかというとなかなか難しいことは多いからだ。問題は、デカルトが真理を見出すための方法の規則として挙げる四つが、私から見ても、確かにこれを本当にしっかり守って推論を重ねることができたならば、その思考は誤りのないものとなると思われることである。奇しくも、この四つの規則を挙げたあと、デカルトは「人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている」(7)という。人間の認識がある共通した同じやり方でつながっているのかということは、どうにも確かめようのないことではあるが、言葉が通じるということや、他者の言葉に納得するといった経験から、そのような一般的な枠組みがあるのだという可能性を推測することはできる。デカルトの見つけた「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」という真理はまさに、では「考える」とは何をすることなのかを考えさせるものだ。私とは何かを考えたとき、「どんな身体もなく、どんな世界も、自分のいるどんな場所もないとは仮想できるが、だからといって、自分は存在しないとは仮想できない。反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。逆に、ただ私が考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものが真であったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる」(8)。私とは何かと考え、それが考えるものであるという答えが発見され、しかもその私というのは考えることをやめるだけで存在するとは信じられなくなるようなものなのであれば、では考えるとは何であるかという問いが生まれるのは当然のことである。だが、デカルトはすでにその問いに答えている。先に田中が言うように、『方法序説』全体がつまり、デカルトの考えることそのことをそのまま表しているからである。方法序説』は、考えるとは何かに答えを与えようとするのではなく、考えて見せることによって、言外にデカルトという一人の考える人間の姿、すなわちそれがリアルな答えとなるところのものを提示して見せているのである。

デカルトにとって考えることとは、ひとりで道のわからない暗闇を歩くようなものであった。「現代のわれわれから見れば、デカルトは機械論的自然観を打ち立てて近代的学問に道を開いた堂々たる近代の創始者である。だがそれは結果であって、デカルト自身はそのようなことを予想していたわけではない。彼は「明晰と確実」のデーモンに取り憑かれて「暗夜を一人行く人のごとく」さまよった末、かろうじてコギトの真理にめぐり合ったにすぎないのである」(9)と田中は言う。若いころ「一人で闇のなかを行く人間のように、きわめてゆっくり進み、あらゆることに周到な注意を払おう。そうやってほんのわずかしか進めなくても、せめて気をつけて転ぶことのないように」(10)と、デカルトは心に決めたそうだ。暗闇の中にいることにも気付かない人もいれば、暗闇の中では立ち尽くしてしまう人もいるし、暗闇の中だろうとおかまいなしに走りぬける人もいる。しかしデカルトは、慎重に進む人だった。しかも転ぶことを恐れながらだ。道徳上の規則としてデカルトが上げる三つの格率は、暗闇の中をそろそろと進む彼の姿をよく表していると思われる。そして、先に挙げたフォントネルの指摘によれば、デカルトの思考の方法は、人々の気楽な幸せを奪うような新しさを持ったものであったが、デカルトの思考がそのような性格を持ったのは、田中のいうところの「明晰と確実」のデーモンのためであろう。この「明晰と確実」のデーモンというのは、真理を求めてしまう狂気のようなものだろう。この狂気がおよその人の心に住んでいると断言することは難しいが、デカルトの狂気によって、たとえそれが小さな断片であろうとも自己の内の狂気をまざまざと見せつけられるとしたら、気楽な幸せのなかに浸っていることができなくなるのは必至である。

小林はデカルト哲学の体系の現代的意義として「デカルトは、みずから、新たな認識論と形而上学を設定し、そのうえに、現代につながる諸科学を創設した。しかも、諸科学を創設したうえで、その射程と限界を認識し、それとは異質なものとして具体的な人間論と道徳論を展開した」(6)ことをあげる。しかし、私が思うデカルトの偉大なところは、諸科学を創設し、人間論や道徳論をも展開したというところにはなく、そのような諸科学の創設の仕方や、人間論・道徳論の展開の仕方を開示した点にある。自分の考えたことを人に教える人はいても、自分がものを考える考え方を人に教える人は、そうそういないからである。経済の分野でも、科学技術や工業技術で特許をとった先進国は、その技術を発展途上国にも広めることはするが、技術開発の方法までも発展途上国に広めることはせず、よって利益の格差は存続しつづけるのだという説がある。このことは、言われてみればもっともなことであり、国の発展における教育の重要性を思うばかりだ。教育において重要だと言われるのは、知識をたくさん詰め込むことではなく、知識を自分のものにする方法を身につけさせることである。デカルトが彼自身の思考の軌跡を示して見せたという点において『方法序説』の貴重さは見出される。

 

<引用文献>

(1)『広辞苑 第五版』岩波書店

(2)田中仁彦『デカルトの旅/デカルトの夢』岩波書店、1989年、p.xi。

(3)同上、p.xii。

(4)同上、p.xiv。

(5)デカルト著、谷川多佳子訳『方法序説岩波文庫、1997年。

(6)小林道夫編『哲学の歴史 第五巻 デカルト革命』中央公論新社、2007年、p.266。

(7)デカルト著、前掲書、p.29。

(8)同上、p.47。

(9)田中仁彦、前掲書、p.331。

(10)デカルト著、前掲書、p.27。

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

 

大学のレポートをブログにまとめることについて

どうなんでしょうか。

大学のレポートをブログにまとめることって。

著作権は本人にあるので問題はないそうです。

そもそも書いているのが学生時代の本人なのですから、稚拙な表現、怪しい読解、偏った主張なども見られます。

しかしまぁ、ネット上の情報だって十分に玉石混合。

引用元や参考文献をしっかり書き連ねている点では、学生のレポートの信憑性だって、いち意見としてはネット上に転がしておいても何の問題もないものなのでしょう。

むしろ、そういった意味では、いち意見としてブログにまとめて公表しておくことにもメリットはあるかもしれません。

レポートってどうやって書いたらいいの?と困惑する学生なりたての方なんかには参考になったりするかしら?

でも、学部によって、先生によって、授業によって、指定されるテーマも様々だし、今思えば書く学生によっても書き方なんて自分で決めちゃいなさいなという感じだった。(少なくとも私の通った学科では)

今時は、レポートのコピペを検出するツールなんかもあるそうで?

そしてまぁ、思い返せばくそまじめな学生だった私からすると、自分の意見を考えることを学ぶために学費まで出してんのに、ネット上で拾ったわけのわからん他人の文章をそのままコピペって提出する人なんておるんかいな、と。

参考までに一読、ってのならわかるけど。

誰かの参考になったり、自分の文章が誰かの役に立ったりすることあるかなぁ。

そうやって読んでもらえるなら何にしろとても嬉しいのだけど。

 

でも、今の私にとって、学生時代のレポートをブログにまとめることは、心理的に大きな意味を感じる。

読み返して、タイトルをつけて、他人から見られる状態にしておくこと。

こんなこと書いてたのかぁ。

難しい本読んでたのねぇ。

主張を通したくて解釈曲げてないかなぁ。

あ、誤字発見。

今だったらこんなこと書けないなぁ。

けっこう良いこと書いてるなぁ。

わかる!この表現すてき!

…と、いろんなことを感じながら、データを開いたり、コピーしたり、書体を揃えたり、カテゴリーつけたり、公開したりしています。

何より思うのが、若気の至りも多いにしても、学生時代の自分ってかなり良くやってたんじゃない!?と。

私も捨てたもんじゃないな、と自信につながるような気がします。

同時に、今の自分の不甲斐なさに悔しさも感じるのですが。

 

いつか、私が死んだとしても、ブログはサービスが終了しない限りネットのどこかに浮かんでいる。

そこにある、ということに意味がある。

パソコン捨てたときにデータを保存し直したかどうか覚えていなくて、USBにほんの少し残されたデータを見て、他は失くしたかと一時は思いました。

でも、外付けHDにバッチリ移されていたのを見つけたときの嬉しさ。

フォルダ名「ドキュメント」がわかりづらくて見つけづらかったけれど、中にはバッチリ、年ごと、講義ごとにフォルダ名・ファイル名がしっかり付けられて残っていました。

さっすが真面目で几帳面!昔の私!

 

かつての自分を評価したい。

これから、まだ何かできると信じたくて。

それが、今さら私が大学のレポートをブログにまとめることの意味なのだと思います。

 

思ったより時間かけてしまってめんどくさいけれど。

時間かかってしまうのは、全部読み直しているからだから。

今は2年生まで終わったところで、3・4年生の自分が書いたレポートは、さらに読み解くのに時間がかかるややこしい文章が多い。

それに、3年生の途中でゼミの教授が亡くなられており、それに派生した少々辛いことがあったのも思い出される。

将来も不安で、どうしたらいいのかわからなくて、でも講義を聞いたり、レポートを書くのは割と好きだったりした。

もしもあの時に戻れたら、なんて思ってしまうのは耕野裕子さんの少女漫画を年末年始に読みあさったせいもあるかも…。

戻れませんからね、けっして、それはもう。

戻りたいことばかりでもないし。

だから、いいのです。

今は、今の私にできることをする。

できることの中で、したいことをする!

それでいいのだと思っています。