哲学生の記録。

大学時代のレポート文章を載せます。

【倫理学】世代間倫理「タイムマシンがないために発生する問題」

1.未来を生きる世代に対しての義務や責任を問う

世代間倫理とは、現在を生きる世代に、未来を生きる世代に対しての義務や責任を問う倫理である。そして、現在を生きる世代の人間が未来を生きる世代に対して義務や責任を持つのはなぜかといえば、それは持続的経済発展の問題があるからである。

 

2.有限なエネルギーの大量消費

地球上の資源には限りがある。気の遠くなるほどの長い年月をかけてつくられてきた石油は、人間の消費のスピードの前で今や尽きるかと危惧されている。再生力をもった森林の生態系も、人間の破壊行動によって、完全に再生が追い付かなくなっているとされる。空気の汚染も深刻である。いつのころからか、人間は自然の域を出るような活動をしてきている。

そこで問題となるのは、現在世代を生きる人間は、そのように自然を少しずつ犠牲して経済的に発展を成し遂げ、今の快適な生活を送ることができているが、自然は決して無限にあるものではないので、未来を生きる世代の人々は私たちと同じような生活がおくれなくなってしまう可能性がある、ということだ。例えば、主なエネルギーを石油に依存している現代の生活は、石油の枯渇に直面したならたちまち立ち行かなくなることは想像に難くないだろう。いや、それどころか、未来の世代に降りかかるだろう問題は、私たちと同じように快適な生活がおくれなくなるかもしれないどころではない。空気汚染の問題や地球温暖化の問題などの場合では、それらがあまりにもひどくなった場合、人類は地球上で生きていくことができなくなってしまうかもしれない。その場合に、未来世代を生きる人々がこうむる生活の状態の悲惨さは、今の私たちの生活からは思い描けないようなものになるかもしれない。

 

3.未来にどれだけの資源を残すのか

私たち現在世代の人間は、世代間倫理でもって未来世代を生きる人々の生活をかんがみる義務や責任を担っている。未来世代は、当たり前といえば当たり前のことだが、まだ生きていない人々なのであって、ドラえもんの世界のようにタイムマシンでも発明されない限り、エネルギーの大量消費をやめようとしない私たちに向かって自らの主張や私たちへの非難の声を届けることもできないのだ。想像力を持って生まれた人間として、今目の前にいるわけではないが、必ず将来に存在するだろう未来世代の声なき人々を、私たちと同じようにその生活を思いやるべき人間であると認めることは可能なはずだ。

しかし、世代間倫理の問題において最も難しいのは、未来世代に生きる人々のために良好な環境を残しておこう、と決めたとして、良好な環境の維持のために私たち現在世代の人間は、現在における資源や富の使用をどれくらい制限すればよいのかがはっきりとしない点である。

 

4.未来世代の幸せのために

私たち現代世代のエネルギーの大量消費のせいで未来世代が悲惨な生活をおくるということは、きわめて不公平なことであり、そのような未来を招くようであってはいけないということはわかる。とはいえ、現在世代の私たちが未来世代のためにいろいろなことを我慢していったとする。その結果として、未来世代の人々が我慢して生きた私たちよりも快適な生活を送ることができたとしたら、利己心ゆえにそう思うのだろうことは予想がつくが、なんだか損なことをしたような気がするというか、いまいち納得がいかないという気分を私は抱く。

ここで未来世代の人々の生活を考慮し始めた私たちの前に立ちはだかるのは、未来の不可測性である。これまた当たり前のことだが、私たちは未来を知ることができない。私たちの今の連なりがこの先に作っていくものが未来なのだから、現在を生きる私たちは未来のことについては、ただ予測をすることしかできない。

もし、このままでは未来世代の人々が苦しい生活をせざるを得なくなるかもしれないと予測をしたのならば、私たちは、未来世代の人々のために資源や富を節約しよう、と考える。

しかし反対に、未来になればもっと人間の技術は発展し、現在の技術では解決できないような問題も解決できるようになるかもしれないと楽観することも、未来の不可測性の中では可能である。そのとき私たちは、未来世代の人が未来世代の人々のために我慢をした私たちよりもよい生活をするのは許せないという根拠もないねたみのために、未来世代のために資源や富を節約することはしないだろう。

未来の持つ不可測性の中では、未来世代の人々がたとえ私たちよりもよい暮らしをしたとしてもいいじゃないかと思えるかどうかという懐の深さ具合が鍵である。