哲学生の記録。

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【心理実験】対人行動  ―パーソナル・スペース―

目的

 パーソナル・スペース(個人空間)とは、人間の身体のまわりをとりまく、見えない境界を持つ他人に侵入されたくない領域のことである。これは、我々はあまり他者と接近しすぎると不快や不安が高まり、他者を避けたり、他者との間にある程度の距離をとろうとする傾向を持つことから、その存在が仮定されるようになったものであり、縄張りとは違って、個人の身体の移動とともに移動し、明瞭な境界を持たないが、縄張りと同様にその中に他者が侵入することは許したくない領域のことである。座席選択行動や過密状態での行動を規定しているものと考えられている。(中村、1981)

 ロバート・ソマーはパーソナル・スペースを以下のように定義している。「パーソナル・スペースは、他人が侵入することがないような、個人の身体を取り巻く目に見えない境界線で囲まれた領域であり、この領域に侵入しようとする者があると、強い情動反応が引き起こされる。この個人を取り巻く気泡は周囲の状況と、自己を防衛する必要が、どの程度あるかについての意識的あるいは無意識的な知覚に応じて、縮小したり、拡大したりする自我の延長であるとみなすことができる。そして、パーソナル・スペースは、均等な広がりを持たないこともある空間である」(Sommer、1959)。パーソナル・スペースの大きさは決して一定なのではなく、その人の状態などのさまざまな条件に依存する。大きさの決定に影響する要因としては、その場の状況や相手をどう知覚しているかに加えて、個人の年齢、性別、性格、そのときの感情などが考えられている。一般的に、成人の初めまでは年齢とともに大きくなり、女性の方が男性より、外交的な人よりは内向的な人の方が小さく、恐怖を感じるときには大きくなるといわれている。

 パーソナル・スペースは、その範囲によって大きく分けると四つの分類を持つ。一つ目は、密接距離と言い、0~45cmである。この空間に入ることは、恋人、夫婦などのように相手と親密な関係のときにのみ許され、見知らぬ他人が入ると不快になる。二つ目は個体距離と言い、45~120cmである。これは友人など親しい間柄での距離であり、手を伸ばせば触れられ、個人的なコミュニケーションが可能である。三つ目は社交距離と言い、120~350cmであり、知らない人同士の会話や仕事上のやりとりが行われる距離である。相手の微妙な表情などはわかりづらいが、言葉によるコミュニケーションは可能である。四つ目は公的距離と言い、350cm以上である。講演などのような、話し手と複数の観衆という関係で使われ、個人的なコミュニケーションはほとんど不可能である。

 今回の実験では、接近対象と接近方向によるパーソナル・スペースの違いを調べた。接近対象によるパーソナル・スペースの違いを調べるためには、実験者が、素顔と、お多福の面をかぶった状態と、鬼の面をかぶった状態でそれぞれ実験参加者に接近していき、実験参加者が不快に感じた距離を測定した。また、接近方向によるパーソナル・スペースの違いを調べるために、各条件において実験者は、実験参加者の正面からと、実感参加者の利き手側の側面から接近した。なお、接近対象が同性であるか異性であるかという条件もパーソナル・スペースの違いに大きく影響するだろうと思われたため、今回はすべての条件を接近対象が異性である場合にそろえて行った。

 

方法

実験参加者

 実験参加者は、大学生7名(男性2名、女性5名、平均年齢19.7歳)であった。

装置

 お多福と鬼の面と、3m以上の長さのメジャーを使用した。

手続き

 実験参加者を3mの長さまで伸ばして床に置いたメジャーの先端に、正面を向いて立たせ、「この課題は、あなたが実験者に接近され、不快と感じるまでの距離を測定するものです。正面あるいは利き手側の側面から徐々に接近するので、不快だと感じた時点で「ストップ」と言って下さい。その時点で実験者は停止します。実験は3m離れたところからスタートし、両者ともに立った状態で行います」という教示を与えた。不快に感じたときと言うのは、圧迫感を感じた時とした。そして素顔の実験者は、メジャーの3mの位置より徐々に正面を向いた実験参加者に向かって歩いて行った。このとき実験参加者には、なるべく近づいてくる実験者と目を合わせるようにさせた。実験参加者が「ストップ」と言うと、実験者はその位置で立ち止まり、もう一人の実験者が、向かい合っている二人のつま先からつま先までの距離を測定した。次に、実験参加者を、実験者の接近方向が利き手側の側面からになるように横を向いて立たせ、同様に素顔の実験者は徐々に近づいていき、実験参加者が「ストップ」と言った時点で立ち止まり、実験者と実験参加者の至近の距離である実験参加者の利き手側の靴の外側の側面から実験者のつま先までの距離を測定した。側面からの接近対象が視界に入らないときには、時折横を向いて接近対象を確認して良いことにした。このような試行を、お多福の面をかぶった実験者が正面から近づいて行った場合、お多福の面をかぶった実験者が実験参加者の利き手側の側面から近づいて行った場合、鬼の面をかぶった実験者が正面から近づいて行った場合、鬼の面をかぶった実験者が実験参加者の利き手側の側面から近づいて行った場合の順に続けて繰り返し、計6パターンを同じ実験者が実験参加者に行った。その後、違う実験者がその実験参加者に再び前の実験者と同じ6パターンの仕方を同じ順序で接近し距離を測定し、結果として各条件において実験参加者は、二人の異なる人物を対象に条件ごとのパーソナル・スペースを測る実験を行った。

 

結果

 実験結果は以下の図1に示すようになった。全体として接近対象が何である場合も、正面の方が側面よりもパーソナル・スペースが広かった。そして、正面のパーソナル・スペースは、実験者が素顔の場合、お多福の面をつけていた 場合、鬼の面をつけていた場合の順に広くなった一方、利き手側の側面のパーソナル・スペースは、実験者が素顔の場合、お多福の面をつけていた場合、鬼の面をつけていた場合の順に狭くなった。つまり、接近対象が素顔のときには 正面と側面のパーソナル・スペースで大きな差はなく、お多福の面をつけていると差が大きくなり、鬼の面をつけているとさらに差は大きくなっていた。

 この条件別パーソナル・スペースの値の標準偏差を出すと、図2のようになった。接近が正面からのときには接近対象の違いによって標準偏差にばらつきが出て  おり、素顔の場合と鬼の面をつけている場合には、接近対象がお多福の面をつけている場合に比べて標準偏差が大きくなっている。接近方向が側面のときは、接近対象の条件によらず標準偏差は一定である。

 また結果を、実験参加者が男性であり女性の実験者が接近していった場合と、実験参加者が女性であり男性の実験者が接近していった場合に分け、それぞれを図3、図4とした。接近方向が正面からであるときには、男性の異性に対するパーソナル・スペースは、接近対象が何であろうとほぼ変わらない距離をとっていたが、女性の異性に対するパーソナル・スペースは接近対象によって大きく差がみられ、接近対象が素顔の場合がもっともパーソナル・スペースが狭くなり、次にお多福の面をつけた場合、鬼の面をつけた場合がもっとも広いパーソナル・スペースを取った。ただし、接近対象が素顔の場合の女性のパーソナル・スペースも、男性のとったパーソナル・スペースに比べるとやや広いものになっていた。接近方向が利き手側の側面からであるときには、男女ともに接近対象が素顔の場合がもっともパーソナル・スペースが広くなり、次にお多福の面をつけた場合、鬼の面をつけた場合の順で狭いパーソナル・スペースを取った。この場合もそれぞれ接近対象の条件ごとに、女性のほうが男性よりもわずかながら広いパーソナル・スペースを取っていた。

 

考察

 接近対象が何である場合も、接近方向が正面からの方が側面からよりもパーソナル・スペースが広かったことより、同じ接近対象に対するパーソナル・スペースは正面方向に側面方向よりも広い範囲を持つといえる。

 正面のパーソナル・スペースが素顔の場合、お多福の面をつけた場合、鬼の面をつけた場合の順に広くなったのに対し、側面のパーソナル・スペースが逆にその順で狭くなっていたことに関しては、側面の結果には慣れが影響したと考えられる。実験の試行は、素顔の場合、お多福の面をつけた場合、鬼の面をつけた場合の順に行われたため、実験参加者はだんだんと実験者が接近することになれていき、不快に思う距離が短くなった可能性がある。藤原(1986)によって、試行数が増大するにつれて、不安や緊張が減少するということがいわれていることと合わせると、不安や緊張とパーソナル・スペースの間には、不安や緊張が少ないとパーソナル・スペースは狭くなるという関係があると思われる。ドーセイとマイセルスはパーソナル・スペースを知覚された恐れを従属変数として持つ独立変数であると考えており、彼らによるとパーソナル・スペースは庇護の目的のために利用される身体緩衝材であり、身体を傷つける恐れから自己を守り、自尊心を庇護するために使われると言われている(Dosey、1964)。この考えから渋谷(1989)は、知覚された恐れが大きいほどパーソナル・スペースは大きくなるのであり、したがって許容することのできる最小のパーソナル・スペースというものは、そのとき近くされた恐れの増加に伴って単調に増加する一つの関数として表すことができることになるという。実験参加者は試行を重ねることにより、この実験において実験者に接近されることは自らに何らかの害を与える恐れはないと知覚したのだろう。

 接近方向が正面からのときには慣れによるパーソナル・スペースの縮小がみられなかったことについては、実験中に実験参加者より上がった「接近方向が側面からの条件のときに、接近してくる実験者が視界に入らない」という声から、接近が側面からのときには、接近対象の顔に影響を受けにくいので実験参加者は実験試行順に慣れていくが、接近が正面からの場合には、なるべく顔を合わせるようにしたためもあり、慣れよりも接近対象の素顔もしくは面の条件によってパーソナル・スペースの広さが決定されがちであったと言えそうである。

 このことは、条件ごとのパーソナル・スペースの標準偏差を比べた結果からも推測できる。標準偏差は、接近方向が正面のときに側面の時に比べて全体的に大きくなっており、接近対象の条件による違いも大きいが、接近方向が側面の場合は、接近対象の条件が何であろうと大差はなく、正面から接近した時に比べて標準偏差は小さくなっていた。接近方向が正面の場合には実験参加者が接近対象に対して抱く感情がパーソナル・スペースを決定する大きな要因になっていたが、側面の場合には接近対象があまり視界に入りにくかったために接近対象の条件による違いが実験参加者の感情に大きく影響することはなく、実験試行に対する慣れがパーソナル・スペースを決定する要因として大きく影響したのだろう。

 女性が男性に接近した場合と男性が女性に接近した場合でのパーソナル・スペースの比較では、全体として女性の方が広いパーソナル・スペースを取っているので、異性に対するパーソナル・スペースは男性よりも女性の方が広いといえる。そして、接近方向が正面であった条件を比較すると、男性では接近対象の如何にかかわらずほぼ一定のパーソナル・スペースを取っていたのに対し、女性では接近対象が素顔、お多福の面、鬼の面の場合の順でパーソナル・スペースは拡大しており、各条件間でのパーソナル・スペースの広さには大きな差が見られた。このことから、標本数が少ないのが気がかりではあるが、男性よりも女性の方が、正面から近づいてくる接近対象から受ける印象によって自分のパーソナル・スペースを大幅に伸縮させる傾向が高いと思われる。

 

 

引用文献

渋谷昌三 1989 『人と人との快適距離』 NHKブックス605 37

中村陽吉 1981 対人行動 梅津八三、相良守次、宮城音弥、依田新(監修)『新版心理学事典』 平凡社 544

藤原武弘 1986 パーソナル・スペースに表れた心理的距離についての研究 広島大学総合科学部紀要Ⅲ情報行動科学研究Ⅱ 83-91

Dosey,M.J.,Duff,D.F&Stratton,L.O. 1964 Body-buffer zone: Exploration of personal space. Archives of General Psychiatry,11,651-656.

Sommer,R. 1959 Studies in personal space. Sociometry,22,247-260.