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【心理実験】鏡映描写課題による両側性転移の検討

序論

 タイプライターを打つ場合や自動車を運転する場合など、目、指、腕、脚など身体各部分の運動が一つのまとまりをもったものを運動技能と呼ぶ。したがって運動技能とは、感覚系と運動系との状況に即した密接な協応を必要とする行動であり、この協応関係が極めて低次な段階(未熟練技能)から練習によって漸次高次の段階(熟練技能)に変容していく学習を知覚運動学習と呼ぶ。(林,1981)この知覚運動学習の一つに、鏡の中の像を見ながら鉛筆で像をたどる鏡映描写課題という課題がある。ここでは鏡映描写課題を用いることによって、両側性転移という、身体の一方の側の手や足を用いた練習が他の側にある手や足による遂行に影響を与える現象が認められるかどうかを検討した。

 実験ではまず参加者を三つの群に分け、第一群には第1~15試行すべてを利き手で課題を行ってもらい、第二群には第1~2試行は利き手で第3~12試行は非利き手で第13~15試行は再び利き手で課題を行ってもらう。第三群には第1~2試行を利き手で行ってもらったあと第一群第二群の実験参加者が第3~12試行をするのにかかるのと同じ時間休憩してもらい、そして第13~15試行を利き手で行ってもらう。

 このような3つの群に参加者を分けたのは、鏡映描写課題において両側性転移が認められるかを検討するにあたって、以下のような3つの仮説がたてられたためである。一つ目の仮説は、鏡映描写学習では逆映像の一般原理を学習することで十分なのだから、一方の手から他方の手への転移は完全になるはずであるというものであり、これを仮説Aとする。次に、鏡映描写学習では、逆映像の一般原理を学習するのみでなく、一方の手の筋肉群に特有の技能をも学習しなければならない。したがって、一方の手から他方の手への転移は完全とはならないはずであるというものがあり、これを仮説Bとする。最後に、鏡映描写ではいずれか一方の手の筋肉群に特有な技能だけを学習する。したがって、左右の手の間には転移はみられないはずであるという仮説、これを仮説Cとする。

 学習度は課題をするのにかかった所要時間と誤数で判断する。第2試行で格群の成績がうまくつりあっていれば、第13~15試行の結果で三つの仮説のいずれが正しいかを判断できる。仮説Aが正しいのであれば、逆映像の一般原理の学習がされているのは第一・二群においてなので、第13~15試行において第一群の成績は第二群と同程度に、第一・二群の成績は第三群より高いものになるという結果が出る。仮説Bが正しいのであれば、逆映像の一般原理の学習は第一・二群で行われ筋肉群に特有の技能の学習は第一群のみで行われることから、第一群は第二群より、第二群は第三群よりも高い成績になる。そして仮説Cが正しいのであれば、筋肉群に特有な技能の学習を行っているのは第一群なので、第一群は第二・三群よりも高い成績に、第二・三群は同程度の成績という結果になるべきである。

 

方法

実験参加者

 実験参加者は、大学生7名(男性2名、女性5名、平均年齢19.71歳)であった。

器具

 鏡映描写装置、星形を印刷した用紙、ストップ・ウォッチを使用した。鏡映描写装置とは図1に示すような、黒い板で手元の用紙を直接は見えないようにし、立てられた鏡によってそれに映る用紙に描かれた星形を見えるようにするものである。用紙に印刷された星形は図2に示すようなもので、内側の星型は一辺が2.6cm、外側の星型は一辺が3.4cmであり、内側の線と外側の線の間隔はどの辺も0.6cmで均等である。スタート時に鉛筆の先端を置く場所として上方の星形頂点の内部に黒い点と、その点からどちら回りになぞれば良いのかを示す矢印がある。ストップ・ウォッチは課題を行うためにかかる時間を測定するために使用した。

 図1 鏡映描写装置

 図2 星型

 

手続き

 練習試行

 まず実験参加者を群分けするための練習試行を2試行した。実験のはじめに実験参加者の利き手に鉛筆を持たせ、鏡映像のみが見え直接に星型が見えないように着席させた後、“この課題は、星形の溝の中のコースを実験者の合図とともに、鉛筆の先で、できるだけ早く、またコースから逸脱しないように一周することです。鉛筆の先は常に紙面から離さないこと、コースから逸脱した場合は直ちにコース内に戻ることに注意してください。出発点は星型の頂点で、回る方向は反時計方向です。”という教示を与えた。そして“目を閉じてください”と言って、いったん実験参加者を閉目させ、出発点に鉛筆の先端を置いてあげ、“目を開いて―用意―はじめ”と出発の合図を与え、計時をはじめた。実験参加者がコースを一周できたら、いったん鉛筆を図形から離させ、閉目させた。このあいだに実験者は所要時間を用紙上に記入し、新しい用紙に取り替えた。試行間間隔として15秒とった後、次の試行として、出発点に鉛筆の先端を置いてあげるところから実験参加者が課題を終えるところまでの試行をもう一度繰り返した。

 すべての実験参加者が2回の練習試行を終えてから、実験参加者を3つの群に分けた。群分けは、2回目の練習試行の所要時間の平均がそれぞれの群でできるだけ等しくなるようにした。第1群は2名で平均所要時間は44.49秒、第2群は3名で平均所要時間は44.77秒、第3群は2名で平均所要時間は39.32秒であった。

 

 本試行

 練習試行と同様の手続きで、実験参加者の利き手に鉛筆を持たせ、着席させ、教示を与えることから実験をはじめた。

 その後の課題を行う条件は群ごとで異なっており、第1群はそのまますべて利き手で試行を15回繰り返した。第2群は第2試行までは利き手で課題を行わせ、第2試行と第3試行の間の閉目時に鉛筆を非利き手に持ち変えさせ、第3~12試行は非利き手で課題を行わせた。そして第12試行が終わると再び利き手に持ち変えさせ、第13~15試行までは利き手で行った。第3群は、第2試行までは同様に聞き手で試行を行ったあと、第1群と第2群が第3~12試行を行うのにかかった時間にそれぞれの試行間間隔15秒の合計を足した時間の平均の時間を休憩時間として、その後の鏡映描写課題の遂行に影響を及ぼす恐れのないこと(たとえば「だるまさんが転んだ」など)をして過ごした。それから第13~15試行として利き手で課題を行わせた。

 学習度を測る指標として所要時間と誤数を測定した。誤数は鉛筆の線がコースを逸脱し再びコース内に戻ったところで1回と数えた。

 

結果

 図3に格群が各試行を行うのに要した時間(秒)を示した。第1~2試行において、格群とも所要時間の短縮が見られたが、その値は同等ではなく第二・三群に比べて第一群が多く時間を要していた。第一群は、多少のばらつきはあるものの、全体としてみると試行回数が重なるに従って所要時間は短くなっていった。第二群は、第3試行から第5試行まで若干所要時間が増え、その後は試行回数が重なるに従って所要時間は短くなった。第13~15試行での格群の所要時間を比較してみると、第一・三群がほぼ同じで第二群がやや短かった。第1~2試行と第13~15試行での所要時間の変化をそれぞれの群ごとに見るために、第1~2試行のうち長いほうの所要時間と第13~15試行のうち最も短かった所要時間を比較したところ、第一群では20秒ほどの短縮が見られ、第二群では10秒ほど、第三群では5秒ほどの短縮が見られた。また、第3~12試行が課題の遂行にどれほど影響を与えたかを見るために第2試行と第13試行のみを比較すると、第一群では17秒、第二群では4秒ほど所要時間が短くなっており、第三群は変化がなかった。

 図4には、格群における各試行の誤数の平均値を示した。第1~2試行において格群の釣り合いは取れていなかった。第一群と第二群は全試行を通して一貫性がなく、第三群のみが第1~2試行と第13~15試行の間で明らかに誤数が減少していた。

 

考察

 所要時間についての結果からすると、第1~2試行と第13~15試行を比較した場合に所要時間は第一群、第二群、第三群の順に短くなっており、第3~12試行でされたと思われる学習の度合いも、第一群がもっとも高く、第二群は次に高く、第三群では学習が行われていないので、この実験結果は仮説Bを支持している。よって、鏡映描写課題では逆映像の一般原理と筋肉群に特有の技能の学習が行われるのであり、両側性転移は完全ではないが生じたと考えられる。ただし所要時間の結果に関して、今回は練習試行によって利き手で課題を行う際の平均所要時間がほぼ等しくなるように群分けをしたにもかかわらず、第1~2試行での格群の所要時間に違いが見られたため、それぞれの群において逆映像の一般原理の学習・手の筋肉群に特有な技能の学習がどれほど行われたのかを容易に比較することはできない。また誤数の結果に関しては、第一・二群に一貫性のみられない結果であったため、この結果を比較し結論を導き出すことに意味はないように思われる。

 このような問題のある実験結果になった要因として、所要時間の結果については課題として実験参加者に与えられた図形と練習試行の結果に基づいた群分けの方法に、誤数の結果については誤数の数え方に問題があったのではないかという推測がされる。

 まず課題として使った図形の問題であるが、星型の図形を鏡映描写課題として用いることについて鈴木他(1974)は、その種の規則的パターンは図形が単純かつ規則的であるだけに、鏡像に基づいて原図形を再生することが容易であり、そのために、新たな視覚―運動系の協応の形成過程を明らかにするはずの課題が、記憶心像―運動の協応に置き換えられてしまいかねない。ことに実習の場合には、実験者ばかりでなく被験者の側も十分な訓練を受けていないうえに、実験者と被験者を相互につとめなければならないという事情から、その影響が際立ち、実験から得られる学習曲線に歪みが生じ易いと述べている。また、同じ図形を反復して描写するところにも図形を記憶するという同様の問題が見出される。課題を行う際に、視覚に入る逆映像をなぞっていくのと、記憶した星形を描くように意識して図形をなぞっていくのとでは所要時間の推移に違いがでるだろうし、記憶心像をなぞっていたとしたら、たとえ所要時間が短くなっていたとしても逆映像の一般原理の学習がなされたとは言えない。

 次に練習試行の結果に基づいた群分けの方法について、今回の実験では練習試行の第2試行の所要時間にしたがって格群の平均所要時間が等しくなるように群を分けたわけだが、鈴木他(1971)が第1試行にみられる課題遂行能力の著しい個体差に着目して、第1試行での所要時間と学習曲線の一義性、条件差の検出可能性などを見るために、レベルごとに分けて試行に伴う所要時間の変動を筋立てたものを図5で示す。この図を見ると、第一試行でかかった所要時間のレベルによってその後の学習曲線はかなり異なったものを描くことがわかる。このことから、ただ練習試行の平均所要時間が等しくなるように振り分けた実験群では、同じ条件であってもそもそも異なる学習曲線を描いていた可能性が大いにある。ただし、この問題は今回の実験のように実験参加者の人数が極めて少ない場合には改善のしようがない。

 そして誤数の数え方についても、逸脱回数が時間値などと比べて偶然的変動を拾いやすく、また被験者の構えによっても影響される度合いが強いことから誤数としての信頼性が低いことは否めず、むしろ描写距離、逸脱距離などの軌跡量を測定する方が適当なのではないかという指摘が鈴木他(1974)によってなされている。誤数の結果が何らかの結論を導き出すに不十分なものになったのは、どのような程度の逸脱であろうと関係なく、逸脱一回を一つの誤数として数えたためだと思われる。

 

 

引用文献

鈴木達也、鈴木正弥、長田雅喜、辻敬一郎、林部敬吉 1971 知覚運動学習の実験的分析(3)―描写パターンについて(資料)― 名古屋大学教養部紀要第15輯 35-40

鈴木達也、鈴木正弥、長田雅喜、辻敬一郎、林部敬吉 1974 知覚運動学習の実験的分析(4)―鏡映描写における両側性転移に及ぼす利き手の練習量の効果― 名古屋大学教養部紀要第18輯 47-58

林保 1981 運動技能 梅津八三、相良守次、宮城音弥、依田新(監修) 『新版心理学事典』 平凡社