哲学生の記録。

大学時代のレポート文章を載せます。

【ゼミ】「眼と精神」要約①

眼と精神

(段落11~14?)

 

身体の謎と絵画の諸問題は、同じところにある。

身体が見ることができるのは、物だ。物が見えるのは、セザンヌが「自然は内にある」と言ったように、身体がそれを見るからだ。そこにあるものが身体のうちに呼び起す反響を迎え入れることで初めて、物はそこにあるとされる。

そして身体は、目に見えたものを目に見えるものにすることができる。それがすなわち、絵画だ。絵画は見えるので、ほかの人によって見られることで、その鑑賞者の身体のうちにこれまた反響を呼び起こす。つまり絵画は、二重化された〈見えるもの〉である。

ラスコーの洞くつの壁画は、岩壁と絵具からなるが、そこに描かれた動物たちは、壁についてしまった絵具のしみとは一線を画する。鑑賞者は絵を、物を見るときのようには見ない。絵を見るというよりは、絵に従って、絵とともに見るのである。

 

イマージュというと、デッサンのように、心のなかに思い描いた複写・写し・第二の物であるように思われている。しかし心のなかのイマージュは決してそのようなものではなく、〈外なるものの内在〉かつ〈内なるものの外在〉なのだ。この二重構造は、まさに身体が〈感じる〉と〈感じられる〉という二重構造を持っていることに由来する。この現象によって、〈創造的なもの〉についての〈準・現前〉と〈切実な可視性〉という大問題を理解することができる。

サルトルが言うには、イマージュはそのもの自体としてはあらわれない不在の対象物を志向するものであり、画像や役者の物真似などの事物の世界から素材を借りるものと、意識や感情などの精神の世界から素材を借りるものに区別される。しかしメルロ=ポンティは、この主張は間違っていると批判する。)

〈準・現前〉は、〈創造的なもの〉は現実的なものよりもずっと近くにあり、またずっと遠くにあるということだ。想像的なものは、〈現実的なもの〉の私の身体内部での生活表(=見取り図?)であるという意味で、現実的なものよりも私に近い。一方、画像は身体を介さなければ〈類似したもの〉にならず、また画像は物について考える機会ではなく、物に従う眼差しの痕跡や、〈現実的なもの〉が想像的に組成されるという視覚の構造を考える機会を与えるという意味で、ずっと遠くにある。

 

目は物しか見えず、絵画は物としては見られないのだが、画像や心的像を見るための〈内部の目〉が別にあると言いたいわけではない。そもそも肉眼の機能そのものが、単なる色や光や形の受容ではないのだ。肉眼は〈見えるもの〉について天賦の才を与えられており、この才能は〈見る〉という訓練によって鍛えたのが画家の視覚だ。

眼は世界からの衝撃に動かされ、手でその世界を〈見えるもの〉に組み立てる。そうして絵画はできるのであり、およそすべての絵画では〈可視性〉という謎だけが祭られてきた。

 

ひどく当たり前のことだが、画家の世界は目に見える世界だ。そしてこれは、部分的であることによってしか完全ではありえない。眼は身体の部分であり、それは世界のなかにあって取り換えや比較の不可能なたったひとつの個別的な視点だ。絵画はほかの人には決して見ることができず、画家自身でさえそれが何なのかよくわからないものを、紙やカンバスといった物に閉じ込めようとする試みである。

〈見る〉ということは〈離れて持つ〉ということだ。見られたものに指の一本も触れなかったとしても、その像は見る人の身体のうちに所有されている。絵画はこのように不思議な方法で、存在のあらゆる現れかたを所有するものだという点で、狂気じみているともいえる。

絵画は、一般的な視覚では見えないと信じられているもの(単なる物以外のもの)を、見えるようにしてみせる。だから、絵に従って、絵とともにあるように見ることによって、触ったり動いたりといった「筋肉感覚」なしで、鑑賞者は世界の奥行きや重さを実感する。

絵画を見るときの視覚は、「視覚的所与」(物によって呼び起される反響?)を超えて、存在の〈肌理〉に向かって開かれている。存在の〈肌理〉とは、感覚的伝達を含めた存在を成り立たせる成分と素地のようなものであり、人にとっての家のように、眼はそこに住みついている。

 

眼と精神

眼と精神

 

 

 

【メモ】なぜ、何を描くのか。 ―アウトサイダーアートと芸術療法―

アウトサイダー・アートの世界―東と西のアール・ブリュット

アウトサイダーアートとは

・アールブリュット、デュブュッフェの定義

・日本でのアウトサイダーアート、山下清から?

インサイドとは?? アカデミズムという形式(千住p.62) 日本では微妙?

アリストテレス「アートとは人に見せたくなるもののことを言う」見せない前提は祈り

坂上チユキ、病状&経歴とアウトサイドの定義

・芸術家による「見出され」が必要であるということ

・子どもの絵との違い

 

芸術療法

・箱庭、コラージュ、etc.

中井正一ウィトゲンシュタイン 言葉にならないもの

・表現による客観化が与える心理的作用 悪い夢は人に話すと良い

ユングのマンダラ

 

形式美と病理的表現

岡潔の現代芸術への批判 神経症自慢?

・描かずにはいられない・モチーフへの執着という共通点

・患者か天才か 狂気とは(フーコー

・狂気に魅かれる アウトサイダー意識を持つ人が増えているのではないか 傍流文化

 

 

 

アウトサイダー・アートの世界―東と西のアール・ブリュット

アウトサイダー・アートの世界―東と西のアール・ブリュット

 

 

【心理療法】読書と私

「自分」はどういう人間なのか?この問題に簡単に答えられる人は、どこにもいないと思う。人は、どんな人でも、そう単純ではないし、その人の特徴を一言で表すことができる言葉があるとは思えないほど、多面的である。特に、「自分」については、あの人と一緒にいるときにはこういう面を見せるが、こういう状況ではこんな振る舞い方をしたりもする、というふうに、ひとりの人間が場面によってさまざまな特徴をもち合わせるように見えることがあるが、自分は「自分」についてのほぼすべてを見ているということができると思うので、逆に、どの特徴が最も「自分」を適切に表したものなのかは、自分ではわかりにくい。

そこで、自分を理解するための手がかりとして役に立つのが、他人の言葉だ。クライエントがカウンセリングに求めていることのうちにも、これは大事なことであると思われる。自己に対する気づきは、今後の状況を改善してくために重要なポイントになりうるからだ。

私は、「論理的だ」と言われることがある。就職活動中に「あなたはどのような人ですか」と聞かれ、「私は論理的です」と述べたところ、「なるほど、その通りですね」と非常に納得してもらえたこともあるので、初対面の面接官からみてもそう見えるほどの客観性をそなえて、私はその特徴を持っているようだ。私が論理的だとみられる要因は、おそらく二つある。それは、口を開く前に考える時間がやや長めであり、内容の一貫性や因果性をよく考えていることと、話しかたがやや文語に近く、あらたまった場では特に接続詞などの文と文のつながりの関係が適切であるように気を使っていることだ。

私が論理的になったのは、本を読むことが子どものころから好きだったからだと思われる。論理に多く接し、親しむよりほかに、論理的になる理由は思い当たらない。文章を読むことをとおして、そのような思考の表現パターンを身につけたのだろう。では、なぜ本ばかり読んでいる子どもだったのかというと、内向的で好奇心が強かったという性格の側面と、両親が共働きのため、家にひとりでいる機会が多くあったという環境の側面のほかに、本は楽しいものだという考えを身につけていった学習の過程があったと思われる。

学習理論によれば、行動は強化子によって強化される。強化子が、正の強化子であれば行動の頻度が増加し、負の強化子であれば行動の頻度は減少する。私にとって、読書という行動を強化した正の強化子は、母とお菓子だった。幼いころは、母が絵本を読み聞かせてくれた。私の母は保育士をしていたため、読み聞かせという行為を普段からよくしていたし、本好きな子どもに育ってほしいという願いからそうしていたというのもあったのだろう。母親が自分と一緒にいて、かまってくれるということは、このころの子どもにとってはそれだけでも幸せな時間になるのだと思う。

三年後に弟と、その二年後に妹が生まれてからは、母が読み聞かせをしてくれた記憶はない。いろいろ忙しくなったからだろう。そして私は、ひとりで暇なときには、本を読みながらお菓子を食べるようになっていった。読んでいた本は、家にある本ばかりではなく、小学校に上がってからは特に図書館や学校から借りてきた本も多数あったので、普通は「本が汚れるからやめなさい」「行儀が悪い」と叱られていてもおかしくない。しかし、子どもが三人もいて、両親が共働きで、祖父母と同居しているわけでもない家庭においては、おとなしく部屋で本を読んで遊んでいる長女は、ほかっておかれるのが常である。レバーを押すとエサがもらえると学習したラットがレバーを押すように、本を読んでいれば自動的にお菓子がもらえるというわけではなかったが、私は自分で無意識的に本を読む行動とお菓子という強化子をセットで経験し続けていき、小学校高学年のころには、近所でも有名な本好きな子どもとして、友だちの親などから褒められるくらいになっていた。

ませすぎた恋愛小説などを除けば、本を読んでいて大人から咎められることは、まずない。読書能力は、学校の成績と密接にリンクする確率が高いからだろう。問題を解くにはまず問題文の意味を正確に理解することが必要であるということもあるが、活字の文面から具体的に想像する力、論理的に文章を読解する力、抽象的な概念を取り扱うことに対する慣れ、などを持っていることは、たいていの教科の勉強で有利に働くものである。実際私も、本がおもしろすぎて試験勉強を怠ったとき以外は、そこそこ悪くない成績を維持してきたと言える。

ところが高校に上がったとき、私は本ばかり読んできた弊害に気がついた。それは、読書という趣味に没頭することが、私の内向的な性格と合致することによって、人付き合いが苦手になってしまっていたということだった。中学までは、長い付き合いの友だちがおり、私が「こういうやつだ」ということを理解してくれていたのだが、高校に上がって知らない人達ばかりのクラスのなかで友だちを作らなければならないとなったときに、私は困ってしまった。本の中でなら、いくらでも文脈を読んでその後の展開を予想することができたが、現実ではどうしたらいいものかさっぱりわからなかった。このとき、そのまま「友達なんていらない」と本の世界に引きこもることも選択肢としてはあったのかもしれない。しかし何というタイミングか、私はそのクラスで好きな人ができてしまい、どうにかして現実にうまく人間関係を作れるようになりたいという欲求を持つことになった。

この状況に対処するために私が考えた行動の変革は、極端で思い切りがよく、根本的すぎるために直接的とは言い難い方法だった。今考えると、「朝、おはようと挨拶をすること」「休み時間は本を読まないで、なるべく近くの席の人などと話してみること」や、「自分から積極的に人の輪に入ること」といった、小さなことからはじめいくというスモールステップ的な方法でも充分だったのではないかと思われるが、このとき私は、「日常生活のなかで本に接することを、授業などで必要に迫られたとき以外はやめる」ということを決意した。そして、この大胆な変革は成功し、高校時代はほとんど本を読まずに過ごした。なぜいきなり、それまで大好きだった「本を読む」という習慣を断ち切ることができたのかというと、その好きになった人がハンドボール部に入部するというので、私も、それまで縁のなかった運動部につられて入部してしまい、練習、練習で、家に帰ったら疲れて眠るだけの日々を送ることになったからだと思う。部活は結局、ハンドボールの激しく戦闘的で、チームプレーが必要となるところが性に合わなかったのか、やはり運動があまり好きになれなかったからか、半年後にはやめてしまったのだが、改めて今思っても、人を好きになるということはすごい力で人の習慣を変えることがあるのだと思う。

【心理療法】クライエント中心療法について

1、はじめに

 講義で紹介されるまでに私が持っていた来談者中心療法のイメージは、とにかくクライエントの自発性を大切にし、クライエントの発言を否定したり、「こうしなさい」という指示を出すことをしないというものだった。ひたすら発言を促して、クライエントに物語らせることに重点を置くのだ。心理療法の講義を聞いて、それまでに持っていたこのイメージはそこまで見当違いなものではなかったと思った。そのイメージが作られたのは、大学に入ってからの心理学の授業等で概要をさらっと説明されるのを耳に入れていたからだった。だから、そこまで見当違いではなかったのだろう。しかし、ロジャーズという人のことや、クライエント中心療法についての詳しい話は聞いたことがなかったので、この講義で聞けて、良かったと思う。漠然と言葉は知っているだけという概念について、きちんとした知識で整理されるのはとても勉強になる。

2、クライエント中心療法の理論

「グロリアと3人のセラピスト」では、グロリアとの対話に入る前に、ロジャーズ自身が来談者中心療法とはどのようなものであるかを説明している。それによると、セラピストが来談者中心療法でクライエントの話を聞くときに大切にしているものは、三つある。

ひとつは、「純粋性」であり、カウンセリングの中でセラピストが自分の感情や態度などの流れに気付いていることだ。このことは、「自己一致」や「透明であること」とも言われる。ただし、ありのままに感情のすべてをさらけ出して伝えるのではなく、クライエントに伝えるべきことや、伝えておかなければ支障が生じると判断されることというように、必要に応じた場面ごとの対応が求められる。

ふたつ目は、「無条件の肯定的配慮」だ。クライエントの態度や条件に左右されることなく、相手に思いやりと積極的関心をもって接し、ひとりの独立した人格として配慮することである。

そして三つ目は、「共感的理解」といい、クライエントの体験や内的世界を、あたかも自分のものであるかのように感じ取ろうとすることだ。これは、相手の目線で相手の心の内面を感じ取ろうとする試みであると言える。

以上の三点を大事にした態度でセラピストが話を聞くことによって、クライエント自身のうちで必要な変化は自然と起こると考えるのが、来談者中心療法の理論である。私は、「グロリアと3人のセラピスト」の映像の中で、ロジャーズが「あなたの助けになりたいのです」とグロリアに言った場面が特に印象に残った。ロジャーズの柔和な顔つきや、ゆったりとして穏やかな話しかたはもとより、この「あなたの助けになりたいのです」という言葉は、先のセラピストの態度にとって重要な三点を、よく表していると思われる。

また、グロリアはロジャーズに「あなたは自分のとるべきことを知っていますよ。どうぞ、そのようにおやりなさい」と言われているように感じている。来談者中心療法が強調するのは「カウンセラーが提供する操作的でない人間関係のなかで、人間が本来持っている自己実現傾向が開花していくこと、これこそがクライエントにとって本物の治療的変化であり、そのためには、クライエントの心理的成長が醸成されるような、安心かつ受容的なカウンセリングの場を強調すること」(プリントより引用)という点だ。グロリアがロジャーズの態度から感じ取った事柄は、まさにクライエント中心療法の持っている人間観、それまでの方法のようにクライエントの問題や生育歴などを分析し、原因ならびに処方を指示しようとするのではなく、クライエントのなかにある成長力を信頼するということなのである。

3、クライエント中心療法歴史

クライエント中心療法は、その歴史的発展において、初期・中期・後期の三つの時期に分けられる。初期は1940年代で、非指示的療法の時期だ。この時期に、カウンセラーがクライエントに助言や解釈などの指示を与えないやり方が、クライエントの言葉のくり返しや、感情の反射や明確化といった技法とともに示された。

中期は1950~1957年で、クライエント中心療法の成立と発展の時期だ。ここでは、クライエントの成長力を尊重するカウンセラーの態度が、三条件として明示された。また、心理的不適応な状態を、自己概念と経験の大幅なずれにあるとした、パーソナリティ理論としての自己理論も打ち出された。カウンセリングの目的は、この自己概念と経験のずれを一致させることであり、カウンセラーとの関係が安全な心理的雰囲気であるとこの一致が生じやすくなるとされた。

そして後期の1957年以降は、体験過程療法ならびにパーソンセンタード・アプローチの時代だ。ワークショップやエンカウンターグループがロジャーズ自身によって精力的に行われた、この時期については、肯定的にとらえるか、理論的展開の放棄として否定的にとらえるかで意見は分かれている。

現代において、クライエント中心療法のエッセンスは、流派を超えてカウンセラーの態度に重要なものとされる一方、古臭くてただ人を甘やかすだけのものという誤解もされがちであるそうだ。私は、クライエント中心療法が「ただ人を甘やかすもの」であるという指摘は、単なる誤解ではなく、ある一面としては的を射た批判であると思う。というのは、「グロリアと3人のセラピスト」で、ゲシュタルト療法のパールズ論理療法のエリスの映像も見てみたところ、三人との対話をそれぞれ終えた後のグロリアのコメントとして、ロジャーズは優しくて感じがとても良いので、初めてならロジャーズに話を聞いてもらいたいが、今後のために一番もっと話したいと思ったのは、混乱させ、わざとイラつかせるようなことばかりを言ったパールズだ、というものがあったからだ。クライエント中心療法は、カウンセラーの基礎的な態度として非常に重要であるが、場合によってはそれだけでは難しいこともあるのだと感じた。

【組織神学】エコフェミニズムについて

1、近代思想の二項対立(文化と自然・男性と女性)

 近代には「理性・感性」「合理・不合理」「主体・客体」「文化・自然」というように、世界のすべてを二項対立の図式でとらえようとする傾向があると、スーザン・ヘックマンの『ジェンダーと知』では主張されている。これに関連して、オートナーは、男性は文化的であり、女性は自然に近いものだという枠組みは、その枠組み自体が社会文化の産物であると指摘している。また、自然と文化を対立させる図式そのものに問題があるのではないかとも考えられている。ここには、自然という資源を人間という文化主体が利用するという構図が見られるように思うが、たとえば日本にかつては多くあった里山の思想には、自然環境があってこそ人間の生活が成り行き、人間の手が入ることで自然環境が自然環境そのものにとっても良いように整備されるという共生の関係があった。必ずしも、人間の文化活動と自然は対立の関係でしかありえないというものではないのである。自然を利用するための対象として、もしくは合理的精神では理解できない法則に支配された未知の領域として、どちらにせよ人間とは別のものだと切り離して考えるという世界観を持った文化のありかたが、自然と文化の対立という図式を作り出しているのだと考えられる。ヴァンダナ・シヴァは自然環境の再生可能性を無視した森林伐採に警鐘を鳴らしているが、このことにも関連して、日本では人間と山林が共存していたころの里山のありかたを見直す必要があるのではないだろうか。

2、ヴァンダナ・シヴァの「女性原理」

 インドでは、森林が媒介する自然の物質循環と水環境に依拠して生命を維持してきたために、インドの人々は森林を神聖視して崇拝するとともに、これを荒らして破壊することの内容に大切に管理していたそうだ。しかし、「英国の植民地化で開始され、独立後の今日においてもインド国家によって引き継がれている「科学的経営」に基づく「科学的林業」なる政策は、木材の市場的価値にのみ着目して森林の持つ多様な価値をこれに還元し、再生可能性を考慮することなく、まるで鉱床を採掘するかのごとく森林を伐採していった」(1)。その結果として、生物の多様性がなくなり循環可能な生態系が破壊されるということや、共有地としての森林はなくなるということや、永続可能な林業ではなく短期利益を求める商業的木材生産のために森林に依拠していた人々の生活基盤が崩れつつあるということが起こっている。

「シヴァにおいては、農業や林業における女性たちの活動が、自らの生命のみならず自然の循環と再生を支える役割を果たすものとして把握されているのである。こういった活動は本来女性と男性が共に担うものであったが、生存維持経済が市場経済への包括によって崩壊すると、男性はそのような活動からは除外され、女性たちがその主たる担い手となって」(2)いった。そのため、シヴァは近代科学やグローバルな市場経済といったものに対する変革や解放の指針として「女性原理」をあげるのである。つまり、「女性原理」といってもそれは、女性であることによって無前提で獲得されるものではなく、男性であるからと言って無条件で排除されるといったものではないのだということは、押さえておきたい。先に、文化が自然を女性的なものとしているのだと述べたが、シヴァもまた自然と女性との一体性を生活様式や性別役割分業に媒介された社会的なものとして理解しているということだ。

3、日本資本主義による家庭内の男女不平等

「近代家族の性別分業に起因する家庭内での男女不平等は、けっして男性による「性支配」の体制の問題なのではなく、社会的・歴史的な問題、つまり日本資本主義のあり方の問題だと言うべきであろう。家庭内で男性が家事・育児などに非協力で、その責任を妻に押しつけている問題も、各家庭においてさまざまな形があり、程度の違いがあり、千差万別であろうけれども、そうなる原因は資本主義的生産様式に由来する問題であることは否定できない」(3)と、鰺坂真は述べる。男女不平等は、近代資本主義の構造のもとでその生産様式が引き起こした問題なのだという主張である。これはI.イリイチがいうところの、男性が賃金労働を行なうかたわらで、女性が無償労働としてシャドウ・ワークに従事するといういわば相互補完関係になっていたということを指しているのではないかと思われる。働いているにも関わらず、家庭内での女性の労働には対価が支払われず、相互補完関係にあって家庭を成り立たせているとは見られずに、男性の賃金収入で女性は養ってもらっているという考えかたがまかり通っていたということだ。しかし、資本主義のありかたによって、社会での賃労働と家庭での無償労働に役割をわけるようになったからといって、圧倒的な比率で賃労働は男性が担い、無償労働は女性が担うといった役割分担になる必然性もまた資本主義のありかたにあったと言えるのだろうか。

4、性別役割分業における不平等とは何か

「シヴァにおいて問題視されているのは「人間の仕事」であるはずのものが「女の仕事」と「男の仕事」に分断されていることではなく、「女の仕事」と「男の仕事」の調和が破壊され「女の仕事」の評価が不当に低められていることなのであるから、性別役割分業自体は肯定されていると理解される」(4)と南は言う。男女の不平等をいうときには、何を平等として不平等だと批判するのかを確かめたい、と私は思う。シヴァが仕事の評価として考えていたものは何なのだろうか。おそらく、鰺坂が資本主義に起因する家庭の性別分業における男女不平等としていうときには、労働に対して支払われる賃金格差が想定されていると見ることができるだろう。しかし、賃金の差は目に見えてわかるものであるが、性別役割分業を「男は狩猟、女は採集および農耕」という原初的な区分にさかのぼった場合、ここには性差はあるけれど、この状態を不平等であるとはいえないのではないかと思う。異なったものを比して等しいかどうかを論じることに意味はないだろう。さらに、女性が狩猟を担っていた民族も存在したということから、特定の活動と性別役割との結びつきは極めて文化的・社会的なものなのだろうということが示唆される。

5、人工妊娠中絶にみる女性の自己決定権の問題

性別役割には、賃金格差以上の不平等があるのではないかということは、女性の自己決定権の問題から見ることができるだろう。女性の自己決定権が特に問題とされるのは、生殖医療技術による人工妊娠中絶に関する倫理的問題においてである。加藤秀一は「女性は自己決定などしていない。胎児について決定しているのは家父長制社会であり、そのとき女性は胎児の入れ物としてしか扱われていない」ことこそがフェミニストの告発の内容であるという(5)。そこには、子どもを産むためのものとして女性が扱われていたということがあり、女性は自分の身体のことや他にしたいことがあるか如何に関わらず、とにかく家を継がせるべき子孫を産むように、家族や親せきをはじめとした社会から、圧力とも言えるくらいの期待をかけられていた。江原由美子は『自己決定権とジェンダー』において、「女性の自己決定権は「本人の意思によらずして産むこと/産まないことを強制されない」という権利にすぎないのであるから、こうした権利があるとしても、それだけで女性が産むか産まないかを自己決定できるとは言えず、「女性の自己決定を実現するような支援を行う社会関係・社会組織が形成」されているか否かが重要であるという(6)。いくら自分で自由に選んでいいと言われても、現実的に選びやすい選択肢が固定されていたのでは意味がないということで、これは重要な指摘であると思う。

「妊娠した女性にとっては、妊娠する以前には「自己の身体」の一部であったものが、受精の瞬間から「他者の身体」となってしまう、あるいは「自己の身体」がふたつの身体へと分離されていくという経験がある」(7)。自己と他者を二項対立としてとらえる構図を近代が持っていたと考えれば、妊娠で自己が他者へと別れていくという女性の身体はその枠組み内におさまるものではなく、それゆえに理性の外にある「自然」と結びつけて考えられたという側面があるのかもしれない。

生殖医療の人工妊娠中絶について、不妊の原因がどこにあるのかもわからず、多くの不妊をもたらしている何らかの根本的な問題があるのかもしれないというのに、とりあえず個々の人の身体的機能の問題をテクノロジーで解決しようとする試みは、対症療法的なやりかたにすぎないのではないかとも考えられている。対症療法は、根本的な問題の解決にはならず、ひとつの症状を抑えることができたとしても、同じ問題から別の形で病状があらわれるところに特徴がある。目に見える症状に比べて、根本的な問題はわかりにくく、多くの要因が絡まり合って複雑なものであることが多いため、原因を突き止めることはたいへん困難であるとは思うが、対症療法的なやりかたをしていると、症状の形は変化するなかでそもそもの問題が悪化していくという事態にもなりかねない。

6、セックスとジェンダー

性差には、セックスとジェンダーがあり、セックスは身体的性別・生物学的性別であり、ジェンダーは社会的性別・文化的性別であると区分される。さらにジェンダーでは、単に性を区別するというだけではなく、そのあいだの差や、その性別を自己のアイデンティティとして自認できるかどうかということや、その性が担っていると思われる役割のイメージといったことが問題となる。たとえば、生物学的事実と社会規範的な役割のイメージを混同して捉えることは、たいへんな間違いである。社会規範的な役割イメージというものは、産まれたときから周りの社会環境で当然とされている場合が多いので、あたかもそれが動かぬ事実であると思いこんで育つ個人は少なくないように思うので、気をつけたいところだと思う。

 

 

〈引用〉

(1)鰺坂真編『ジェンダー史的唯物論』南有哲「エコ・フェミニズムにおける科学と自然」p.189。

(2)同上、p.206。

(3)同上、鰺坂真「エンゲルスの家族論と現代」学習の友社、2005年、p.37。

(4)同上、南有哲「エコ・フェミニズムにおける科学と自然」p.208。

(5)同上、上田浩「ジェンダーと生殖医療」p.164。

(6)同上、p.165。

(7)同上、p.178。

 

〈参考文献〉

鰺坂真編著『ジェンダー史的唯物論』学習の友社、2005年

原ひろ子、根村直美編著『健康とジェンダー明石書店、2000年

I.イリイチ著、玉野井芳郎訳『ジェンダー』岩波現代選書、1984

 

ジェンダーと史的唯物論

ジェンダーと史的唯物論

 

 

【現代哲学】隔たりへの応答 ―レヴィナスの他者論について―

全体性と無限―外部性についての試論 (ポリロゴス叢書)

1、「他者」は「絶対的に他なるもの」

レヴィナスにとって「他者」とは「絶対的に他なるもの」である。それは、私の予測を常に超出して同化を許さないものであり、決して自我の自同性に回収されることはない。自我にとって捉えきれないものとしての他者はサルトルにおいても考えられていたが、サルトルにとって他者はどれほど把握しようとしても逃れ続けるもの、もしくは私を支配しようとするものとして現われていた。しかし、レヴィナスにとって自我と他者の関係は、そのようなお互いに支配しようと睨みあう主体同士の相克の関係ではなく、他者は自我の前に支配しようとすべきものとしては現われていない。

2、サルトル他者論とは対照的に、「顔」は受動的で避けられない現象である

では、レヴィナスの考える他者は自我にとってどのようなものであったのだろうか。これを「顔」という概念から考えると、他者の現前を表わすために用いられた「顔」は私に対して現れるものである。つまり、サルトルのいう自我と他者との相克の関係を、「まなざす」という対自的・能動的な行為と「まなざされる」という即自的・受動的な態度のあいだでの葛藤であったととらえると、レヴィナスの考える自我は他者に対する関係においては特に受動的な面が強調されている。さらに他者を見ることについての両者のとらえ方を比較すると、非常に対照的であることがわかる。他者は主体にとって支配しようとする対象であるとしてとらえていたサルトルにとって、他者を見ることは「まなざす」という主体的行為であったが、レヴィナスにおいては他者を見ることが、顔が現われてくるという受動的で避けられない現象となっている。なぜ他者の顔を見ることが受動的であるのかというと、それはレヴィナス〈顔〉の無限性と呼ぶ性質によって、他者の顔は自我によって了解される類の内容を持って現れているわけではないからである。「顔は内容となることを拒むことで現前する。この意味において、顔は了解し内包することのできないものである。顔は見られもしなければ触れられもしない。なぜなら、視覚や触覚においては、自我の自同性が対象の他性を包含し、その結果、この対象はほかでもない内容と化すからである」(1)。完全にその意味するところがわかるのではない現われに対して、了解をすることはできない。だから、ただそこに何らかの表出があるということを受けとめるしかないのである。佐藤によると、自我が顔に対してまったく受動的に従属するのは「私の能動性が他なるものを「同」へと吸収する同の働きの一環だと見なされているからである。顔があらわにする他人が他なるもの、絶対的に他なるものであり、その絶対的に他なるものを絶対的に他なるものとしてそのまま遇するためには、能動的な「同」の働きによってそれを同へと取り込むことは避けなければならない。純粋な受動性を保つことではじめて、絶対他がそういうものとしてのままに私に接触することが可能になる」(2)のである。また、「志向性の観念は、単に質的かつ主観的でどんな対象かとも無縁とみなされている感覚のあり方から具体的所与としての性格を剥奪することで、感覚の観念を揺るがせた」(3)が、それは意識の志向性が同化の働きであったからであり、すべての感覚がたんに自我によって構成されたものではないのだと考えることは、他なるものからの訪れを享受するというあり方を認めることによって可能となる。絶対的に他なるものである他者だけでなく、他なるものに対しても、その他性を自我に還元しないためには受動的な態度が要されるということだ。

3、根底的な分離のある自我と他者は、関係を持つことができるのか

「絶対的に他なるもの」という表現からもわかるように、レヴィナスにおいて自我と他者とのあいだには根底的な分離がある。これは、身体性から人間をとらえたメルロ=ポンティが私と他者を同じ構造をもったものとして捉えたのとは異なっている。他者は私と同じものではない。自我から他者への関係のあいだには、底がないほど深い隔たりがあるである。これに関して「およそ倫理が可能であるとするならば、ひとはあらかじめ〈他者への関係〉のうちに存在していなければならない。他者との関係が、私が私であることの、なりたちそのものに食いこんでいるなにごとかであるとすれば、倫理とはこの私にとっても避けがたい、応答すべき問題であり応答という問題であることになるだろう」しかし「他者とは私との差異であり、わたしからの隔たりそのものであるような、なにものかのことである。そうであるとすれば、そうした絶対的な差異であるもの、はるかな隔たり自体であるものとの関係を、どのようにして思考することができるのだろうか」(4)という問題がある。「絶対的に他なるもの」である他者に対して私は絶対的な責任を負っていると、レヴィナスはいうが、まったく隔たりの向こうにあるものに対して私に責任があるというのは一体どういうことなのか。一般的に責任というと主体的な関わりをもったものに対して負うものであるし、自我と他者のあいだに絶対的な隔たりがあるというのなら、自我と他者は関係を持つことができるのかということすら疑問に思えるものである。

4、私の自同性に還元できない他者は、言葉によって現出する

この問題にこたえるのは、言葉の存在である。熊野によると「ことばが他者と私との間で交わされるのも、他者が私からの絶対的な差異であるからである。隔たりが存在しないのなら、ことばが取り交わされる理由もまた存在しない」(5)。なぜ言葉が交わされるのかというと、それはそこに私ではない人がいるからであり、他者は私と同じではないがゆえに私は言葉を交わすのだ。言説は自我の容量を超えて他者を受容することである。「教えは外部から到来し、私が内包するより多くのものを私にもたらす」(6)からこそ、私にとって意味がある。他者をもしも私の自同性に還元することが可能であったとしたら、そのような他者はもはや他者とは呼べないものではあるが、私はその他者のことでわからないことは何もなく以心伝心であり、このような状態でも言葉を交わすとしたら私たちはひとりごとを発する必要があるということを立証しなければならないだろう。レヴィナスは「事実、発語は比類なき現出である。というのも、発語が成就するのは、記号を起点として、意味するものおよび意味されるものへと赴く運動ではないからだ。意味されるものへの通路を開くまさにその瞬間、記号は何かを閉ざすのだが、これに対して発語は、意味されるものの現出に意味するものを臨在させることによって、記号が閉ざしたものの閂を外す」(7)という。ここでの現出とはすなわち、他者の現出である。絶対的な隔たりの彼方にいる他者は発語によって私の前に現出してくるのであり、私は他者との関係の中にいるのだということを示しているのが言語の存在なのである。そこで特に重要なのは、言語が記号として含んでいる意味情報ではなく、他者へと言語を発する行為だ。他者からの記号に含まれている意味を解釈しようとするのは同化であり、言語は歓待して迎え入れるべき他なるものの現われなのである。現実になぜ私たちが挨拶を交わすのかというと、挨拶は「私はここにいて、あなたがそこにいることを認めている」というメッセージだと考えられる。

5、(疑問)レヴィナスの自我は「顔」を持つのか

言語の存在によって他者は現前し、他者との関係の内にある私にとっての倫理を問題にできることがわかった。ここでもう一つ問題であるのは、レヴィナスが要求する絶対的な責任は自他非対称な責任であって、他者に私に対しての責任を要求することはできないが、私には他者に対する無限の責任があるという点である。ここでは深く追求しないが、レヴィナスにとって他者の現前が「顔」であったということから、自我は「顔」を持たないものなのではないだろうかと推察することができる。実際にレヴィナスが「顔」というとき、それは他者によって見られる自分の「顔」ではなく、ただ自我に対して現れてくる他者の「顔」だけであるように思われる。顔の表出は私がその訴えに耳をふさぐことができないものであるのも、完全に孤独で生まれ死んでいく人がありえないように他者は私の前に顔を現しているからであり、一方、私の顔は鏡面に移った虚像として以外、直接私の眼前に現れてくることはありえないものだということが関係あるのかもしれない。

 

<引用文献>

  1. エマニュエル・レヴィナス著、合田正人訳『全体性と無限 ―外部性についての試論―』国文社、1989年、p.292。
  2. 佐藤義之『物語とレヴィナスの「顔」 ―「顔」からの倫理に向けて―』晃洋書房、2004年、p.34。
  3. エマニュエル・レヴィナス、前掲書、p.282。
  4. 熊野純彦『差異と隔たり 他なるものへの倫理』岩波書店、2003年、p.v。
  5. 同上、p.xii。
  6. エマニュエル・レヴィナス、前掲書、p.61。
  7. 同上、p.278。

 

 

<参考文献>

内田樹レヴィナスと愛の現象学せりか書房、2001年。

内田樹『他者と死者 ラカンによるレヴィナス海鳥社、2004年。

サロモン・マルカ著、内田樹訳『レヴィナスを読む』ポリロゴス叢書、1996年。

 

差異と隔たり―他なるものへの倫理―

差異と隔たり―他なるものへの倫理―

 

 

【現代哲学】メルロ=ポンティの他者論  〜共存する主体という事実〜

知覚の現象学 1

知覚の現象学 2

1、メルロ=ポンティ他者論は、サルトルの批判を起点とし独我論を脱する

 メルロ=ポンティの他者論は、サルトルの他者論を批判するところから始まる。サルトルは、人間の実存を、意識的存在である対自存在としてのありかたと物的存在である即自存在としてのありかたの二種があるとして分けた。そして他者に対しての人間存在としては、対自存在と対自存在が出会った場面では、両方が主体として共存することは不可能であり、双方が相手を対象化しようとする相剋の関係をそこに見てとった。

 メルロ=ポンティはこれについて、人間が対自存在か即自存在のどちらかとしてあるという分け方は、人間が<世界にある>存在であることを無視した分類であると指摘する。世界のなかにおいて人間は、ただの物であることはないし、完全に意識だけであることもありえないからである。メルロ=ポンティにとって世界のなかにある人間存在は、物質的であると同時に意識的であった。そしてこのように人間存在が両義性を持っているということは、身体的存在としてのありかたそのものだ。身体は、物理的にとらえられるという面と、主体の意志によって動かされるという面を同時に実現している存在なのである。

 他者論としては、サルトルが意識的存在である対自存在が主体的なありかたであり、複数の主体が共存することはできないとしたことから独我論的な傾向を持っていたのに対し、メルロ=ポンティのように両義性を持ち合わせた身体的存在として人間の主体を考えると、主体の共存は可能であるどころか、現実的に主体は共存しているとしか思えなくなる。主体の定義を変えることによってメルロ=ポンティ独我論を抜け出したのだと言える。

2、メルロ=ポンティの主体の概念=身体的存在とは何か

 では、メルロ=ポンティが主体の概念とした身体的存在としての主体はどのようなものであり、独我論的であり他者と共存することのできない主体概念とはどう違っているのだろうか。

 メルロ=ポンティが批判する他者と共存することのできない主体概念は、対自存在と即自存在に分けられるサルトルの主体概念だけではない。主体の物質的側面と意識的側面は身体というありかたとして統合されており、分けられるものではないというサルトルへの指摘はそのまま、デカルトが人間の「考える」という意識的働きだけを信じられるものとして、感覚は疑わしいものであると切り捨てたことへも当てはまるものである。メルロ=ポンティは、幻影肢という症状をあげて、「幻影肢が一方では生理的諸条件に依存し、その限りでは第三者的な因果性の結果でありながら、それでいて他方では、患者の個人的経験や彼の記憶や情動または意志に所属することができるはどうしてであるか、わけがわからぬ」(1)というように、生理学的説明だけでも心理学的説明だけでも十分にこの現象を説明することはできないことから、身体としての人間のありかたは「心的決定因と生理的条件がどんなふうに噛み合っているか」(1)が問題になるという。メルロ=ポンティにとって「私とは私の身体である」(2)のであり、デカルトのように思惟する実態という意識的存在としての「私」は、意識的側面と物質的側面をあわせもった身体的存在の片面のみなのだ。

3、メルロ=ポンティは、観念上の世界ではなく事実の世界を求める

 デカルトの言うように感覚は誤りうるものであるが、メルロ=ポンティは、あくまでも<現実的なもの>にこだわる。感覚が誤りうるものであるにしても、そこには誤った感覚というものがあるのであり、錯覚が錯覚として語られるということは錯覚を錯覚として認めているからなのである。観念上の世界ではなくて事実の世界を求めるとき、誤りうる知覚は、誤っていてもそこに事実としてあるとしか思えないものとしては真理なのだといえる。

 同様に、そこに事実としてあるとしか思えないものを真理としてあつかったとき、世界や他者というものは語ることができるものとなる。「世界とは、私が思惟しているものではなくて私が生きているものであって、私は世界へと開かれ、世界と疑いようもなく交流しているけれども、しかし私は世界を所有しているわけではなく、世界はいつまでも汲みつくせないものなのだ」(3)。メルロ=ポンティにとっての世界とは、思惟の結果構成させるものではなく、自分の頭のなかだけにあるものでもない。それは、交流が可能であり関係を作ることのできるすべてのものなのである。この世界と交流するときには、私は必ず身体というありかたで存在している。身体の能力としての知覚こそが、世界を私の前に提示することができるからだ。

4、世界も他者も、交流できるが汲みつくせない

 疑いようもなく交流できるけれども、決して汲みつくせないという世界のありかたは、私と同じく身体的存在として世界のなかにいる他者の、私にとってのありかたも同様である。他者と言葉を交わすとき、言葉の意味というのが人の経験よって違うニュアンスをもってくるということを考えると「意識は自ら経験のなかに入れておいたものだけしか己の経験のなかに見出すことはできないということ」(4)が真実らしく思える。そしてこうなると、主体同士で意志を伝達するというのはありえないということになる。各々が自分の経験にそった意味だけを交わす言葉のうちに見出すということが、言葉のやりとりの結果であり、「何一つとして一方の意識から他方の意識に移行するものはない」(4)からだ。しかし、事実はそうではないからこそ、私たちは言葉を交わすのである。「事実は、我々は自分が自発的に考えていたよりも以上のことを理解する能力を備えている、ということなのだ」(4)とメルロ=ポンティはいう。言語のなかには思惟があり、他者に従って思惟する能力を私たちは備えているので、他者と言葉を交わすことによって、意識はそのなかにそれまでなかったものを生じさせることができるのである。

5、主体=身体、知覚=真実として、ただそうあるようにしか思えないという存在のありかたを記述した

 メルロ=ポンティにとっての課題は、明証性や確実性を世界のなかに求めることではなかった。「知覚世界の全幅にあいまいさが拡がっている」(5)というように、主体を身体として、知覚を真実として考えることは、世界にあいまいさを拡げることにつながるというのは、メルロ=ポンティもわかっていたことである。しかし「世界の問題、そしてその手初めとして自己の身体の問題は、すべてがそこに在りつづける、というこの一事のなかにかかっているのである」(6)。どんなにあやふやなものであっても、自己は身体としてあるのであり、世界や他者は交流可能なものとして広がっている。論理的な明証性よりも、ただそうあるようにしか思えないという存在のありかたを記述しようとすることが、メルロ=ポンティがその哲学によって試みたことであったため、メルロ=ポンティの主体の概念は他者との共存が可能なものであったのだと考えられる。

 

 

知覚の現象学 1

知覚の現象学 1

 
知覚の現象学 2

知覚の現象学 2

 

 

<引用文献>

  1. M.メルロ=ポンティ竹内芳郎、小木貞孝訳『知覚の現象学みすず書房、1967年、p.139。
  2. 同上、p.325。
  3. 同上、p.18。
  4. 同上、p.293。
  5. 同上、p.326。
  6. 同上、p.324。