【現代哲学】メルロ=ポンティの哲学テーマと言語表現
1、哲学者は詩人でありうるか?
メルロ=ポンティが自らの哲学的問題を考察するときに使用する言語が「詩的」だという指摘がある。言語とは何かという問題をあくまでも哲学的に探究した言語論展開者の言語表現が、一見したところでは哲学とまったく異なる営みであるように思われる詩と、なぜ同じものであるかのように解されるのかを考えてみたい。
熊野純彦は、メルロ=ポンティを紹介する入門書を著すさいに、その副題を「哲学者は詩人でありうるか?」とした。これは、「すぐれた詩人や哲学者は、知とことばのとばりを引き裂いて、世界との接触を回復し、その経験を、ふたたびことばによって語りだそうと」(1)するからであり、また「日常のなかでは、普通のことばによって覆われてしまっている、経験の始原的な次元を探りあて、もう一度ことばにもたらすことが、メルロ=ポンティにとっても問題」(1)であったからである。詩とは何か、哲学とは何かという問いの答えは詩人、哲学者の数だけあるとしても、メルロ=ポンティを含む多くの哲学者の思考は、このような意味で詩人たちと問題を共有し、困難を分かち合っていたと熊野は主張する。
2、詩と哲学の共通性は、根源的パロールであること
メルロ=ポンティは、話されることばであるパロールを二つに分ける。そのひとつは、対象化されたことば、すでに獲得された思考を表すパロールであり、これは二次的なものである。そしてもうひとつが、思考を私にとって初めて表す根源的なパロールである。(2)メルロ=ポンティにとって思惟のあり方とは「自分の対象についての十全な規定をまだもっていない意識、自分自身を説き明かしていない生きられた論理の意識、自然的標識の経験によってのみ己を知る内在的意味の意識」(2)なのであり、このような対象以前の意識を固定された表現のなかに閉じ込めることが、思惟の言語化であった。このとき、すでに獲得された思考ではなく、私にとって初めて思考を表すものとなるという点で、哲学における言語表現と詩作における言語表現とはともに、対象化されないものを語る根源的パロールであるという共通性がある。「世界を見つめなおし、絶えず経験そのものを更新することをこころみる思考のことば、通常のことばがとどかない領域に向けて、なおことばをつなごうとする哲学的な思考を紡ぐことばが、そのなりたちにおいて詩のことばとかよいあうもの」(3)なのである。
3、主観性や観念論的語彙を避けたため、メルロ=ポンティの言葉は根源的パロールとなった
また、加賀野井秀一は、メルロ=ポンティの表現には「詩的=存在論的=呪術的スタイル」の曖昧さしか見いだせないという者は、メルロ=ポンティの事情を汲み取らないからだと批判する。加賀野井によれば、メルロ=ポンティの言語表現が「詩的」と解される元となる事情というのは「「意識の哲学としての現象学の最後の仕事は自分自身と非=現象学との関係を理解することだ」という態度を固め、主観性や観念論的語彙を払拭しようとする点」(4)にある。メルロ=ポンティは「ゲシュタルト学説の誤りを衝くに、それがもはや「<ゲシュタルト>に即して考えられていない」と断じ、問題が「心理学によってこれまでいつも立てられてきた用語のままで立てられている」点を攻撃している」(5)。言語を変えることの不徹底が<元の木阿弥>をもたらしたということである。おそらくはこの自ら指摘したゲシュタルト学説の誤りを鑑みて、メルロ=ポンティは現象学においては同じ轍を踏まないようにするがごとく、主観性や観念論的に使い古された語彙の使用を避けた。そしてその結果、彼のことばは思惟されたものを初めて表すような根源的パロールとなったのだろう。そのような言語表現の生成過程は詩文のものとよく似た特徴を持つ、ということだ。
4、メルロ=ポンティの哲学は小説で表された方がよかったか?
『知覚の現象学』刊行の一年後に、メルロ=ポンティは研究報告を行い、それは『知覚の現象学』で彼が展開した様々なモチーフのうち、特に中心となるテーゼを要約しなおし、またすでに開始されていたと思われるさまざまな批判や反論に対して、自説を擁護するために企てられたものだった。その講演後の質疑応答において、ブレイユから「あなたの考え方は、哲学よりも小説や絵画において表現されるほうがいいと思いますね。あなたの哲学は、小説の世界に接しています。このことは欠陥だというのではありませんよ。われわれが小説家の作品の中に見出すような現実性が直接示唆するところのことと、あなたの哲学は境を接していると思うのです」(6)という意見が投げかけられた。私はこの意見に対し、半分のところは的を射ているが、半分のところはまったく的外れであると思う。というのも、読者が小説のなかに見出すような現実性が直接示唆するところのこととメルロ=ポンティの哲学が近いところにあるというのは、メルロ=ポンティ自身が「私としては、諸々の学説を並べたような問題にではなく、具体的な問題に対して答えていきたい」(7)といっていることからもわかるように、メルロ=ポンティの問題がある種の現実感覚に端を発しているものであるので、当然といえば当然のことである。メルロ=ポンティの問題は、すでに抽象化された言語の概念においてあるのではない。メルロ=ポンティが「知覚される出来事というものは、この出来事の生起に際して知性が構成するところの、透明な諸関係の全体の中に、決して解消されてしまう筈がない」(8)のだというのも、「メルロ=ポンティが問題とする知覚は、たんに反省によって眺められるような、対象としての意識の出来事ではない。彼の知覚は、意識的であるよりもむしろ前意識的であり、人称的であるよりもむしろ前人称的で」(9)あったからである。言語になる前の現実というのは、まさに言語にし難いものであるので、そのようなものはどのように語れば表すことができるのかということは、彼においては困難な課題であったに違いない。これが、熊野がいうところの「メルロ=ポンティが引き受けた詩人の辛苦」である。
5、哲学と詩の違い
しかし、小説の中に見られる類の現実性が示唆することとメルロ=ポンティの哲学が近しいところにあるからといって、メルロ=ポンティの考え方が小説や絵画において表現されるほうがいい、ということには決してならない。詩、小説、絵画はまったく相を異にする表現形態をとるものであり、それらをひとくくりにして語るのはかなり抵抗があるが、ここで試みたいのは芸術論ではないので、哲学との対比としてひとまずそれらの違いは置いておくことにする。詩、小説、絵画などと哲学は、どんなに隣接していようともやはり一線を画しているのである。メルロ=ポンティは「文学が、芸術が、生の営みが、物そのもの、感覚的事物そのもの、実在物そのものをかりてなされ、極限にまでいった場合は別にして、習慣的なもののなか、構成されたもののなかにとどまるという幻想をみずからも持ち、また他にも与えうるのに対し、絵具も使わず銅板画のように白黒で描く哲学は、この世界の奇怪さを、人々が哲学と同じくらいまたそれ以上見事に、だが半ば沈黙の中で対決しているこの世界の奇怪さを、忘れ去ることを我々に許さないのである」(10)と、文学や芸術などと哲学の違いを言っている。また熊野によれば「詩人がことばを撚りあげ、詩句を編みあげようとするとき、通常の意味での時間は流れていない。詩のことばは瞬間をとどめ、現在を永遠なものとして語りだすことができるのである。哲学のことばはこれに対して、あくまで時間のなかで紡ぎだされるほかはない。哲学者はいつでも、時間の中で永遠に追いつこうとする」(11)。だから、哲学はおよそ完結することのありえないこころみとなることだろう。問いの生まれる源泉としてあるのはともに現実の経験そのものであるとしても、詩では問いに答えを与えることが再び問いとなるようであり、哲学では問いの前で立ち尽くし答えを求め続けるようになるというふうに、問いに対する働きかけの点においては異なっているのである。
メルロ=ポンティ―哲学者は詩人でありうるか? (シリーズ・哲学のエッセンス)
- 作者: 熊野純彦
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<引用文献>
- 熊野純彦『メルロ=ポンティ 哲学者は詩人でありうるか?』NHK出版 シリーズ哲学のエッセンス、2005年、p.10。
- 講義資料12より。
- 熊野、前掲書、p.21。
- 加賀野井秀一『メルロ=ポンティと言語』世界書院、1988年、p.276。
- 同上、p.69。
- M.メルロ=ポンティ著、菊川忠夫訳・解説『メルロ=ポンティは語る―知覚の優位性とその哲学的帰結―』御茶の水書房、1981年、p.43。
- 同上、p.50。
- M.メルロ=ポンティ著、菊川忠夫訳、前掲書、p.20。
- 同上、p.75。
- メルロー=ポンティ著、竹内芳郎、海老坂武、栗津則雄、木田元、滝浦静雄訳『シーニュⅠ』みすず書房、1969年、p.31。
- 熊野純彦、前掲書、p.105。
【現代哲学】現象学と言語表現 ーメルロ=ポンティとサルトルよりー
1、メルロ=ポンティの哲学が「詩的」である理由
メルロ=ポンティが自らの哲学的問題を考察するときに使用する言語が「詩的」だという指摘がある。言語とは何かという問題をあくまでも哲学的に探究した言語論展開者の言語表現が、一見したところでは哲学とまったく異なる営みであるように思われる詩と、なぜ同じものであるかのように解されるのだろうか。熊野純彦によれば、これは、「すぐれた詩人や哲学者は、知とことばのとばりを引き裂いて、世界との接触を回復し、その経験を、ふたたびことばによって語りだそうと」(1)するからであり、また「日常のなかでは、普通のことばによって覆われてしまっている、経験の始原的な次元を探りあて、もう一度ことばにもたらすことが、メルロ=ポンティにとっても問題」(1)であったからである。詩とは何か、哲学とは何かという問いの答えは詩人、哲学者の数だけあるとしても、メルロ=ポンティを含む多くの哲学者の思考は、このような意味で詩人たちと問題を共有し、困難を分かち合っていたと熊野は主張する。
2、哲学と詩作の言語表現はともに、対象化されないものを語る根源的パロールである
メルロ=ポンティは、話されることばであるパロールを二つに分ける。そのひとつは、対象化されたことば、すでに獲得された思考を表すパロールであり、これは二次的なものである。そしてもうひとつが、思考を私にとって初めて表す根源的なパロールである。(2)メルロ=ポンティにとって思惟のあり方とは「自分の対象についての十全な規定をまだもっていない意識、自分自身を説き明かしていない生きられた論理の意識、自然的標識の経験によってのみ己を知る内在的意味の意識」(2)なのであり、このような対象以前の意識を固定された表現のなかに閉じ込めることが、思惟の言語化であった。このとき、すでに獲得された思考ではなく、私にとって初めて思考を表すものとなるという点で、哲学における言語表現と詩作における言語表現とはともに、対象化されないものを語る根源的パロールであるという共通性がある。「世界を見つめなおし、絶えず経験そのものを更新することをこころみる思考のことば、通常のことばがとどかない領域に向けて、なおことばをつなごうとする哲学的な思考を紡ぐことばが、そのなりたちにおいて詩のことばとかよいあうもの」(3)なのである。
3、「メルロ=ポンティは小説を書いた方がいい」という揶揄と、文学と哲学を画す一線
『知覚の現象学』刊行の一年後に、メルロ=ポンティは研究報告を行い、それは『知覚の現象学』で彼が展開した様々なモチーフのうち、特に中心となるテーゼを要約しなおし、またすでに開始されていたと思われるさまざまな批判や反論に対して、自説を擁護するために企てられたものだった。その講演後の質疑応答において、ブレイユから「あなたの考え方は、哲学よりも小説や絵画において表現されるほうがいいと思いますね。あなたの哲学は、小説の世界に接しています。このことは欠陥だというのではありませんよ。われわれが小説家の作品の中に見出すような現実性が直接示唆するところのことと、あなたの哲学は境を接していると思うのです」(4)という意見が投げかけられた。私はこの意見に対し、半分のところは的を射ているが、半分のところはまったく的外れであると思う。というのも、読者が小説のなかに見出すような現実性が直接示唆するところのこととメルロ=ポンティの哲学が近いところにあるというのは、メルロ=ポンティ自身が「私としては、諸々の学説を並べたような問題にではなく、具体的な問題に対して答えていきたい」(5)といっていることからもわかるように、メルロ=ポンティの問題がある種の現実感覚に端を発しているものであるので、当然といえば当然のことである。メルロ=ポンティの問題は、すでに抽象化された言語の概念においてあるのではない。メルロ=ポンティが「知覚される出来事というものは、この出来事の生起に際して知性が構成するところの、透明な諸関係の全体の中に、決して解消されてしまう筈がない」(6)のだというのも、「メルロ=ポンティが問題とする知覚は、たんに反省によって眺められるような、対象としての意識の出来事ではない。彼の知覚は、意識的であるよりもむしろ前意識的であり、人称的であるよりもむしろ前人称的で」(7)あったからである。言語になる前の現実というのは、まさに言語にし難いものであるので、そのようなものはどのように語れば表すことができるのかということは、彼においては困難な課題であったに違いない。これが、熊野がいうところの「メルロ=ポンティが引き受けた詩人の辛苦」である。
しかし、小説の中に見られる類の現実性が示唆することとメルロ=ポンティの哲学が近しいところにあるからといって、メルロ=ポンティの考え方が小説や絵画において表現されるほうがいい、ということには決してならない。詩、小説、絵画はまったく相を異にする表現形態をとるものであり、それらをひとくくりにして語るのはかなり抵抗があるが、ここで試みたいのは芸術論ではないので、哲学との対比としてひとまずそれらの違いは置いておくことにする。詩、小説、絵画などと哲学は、どんなに隣接していようともやはり一線を画しているのである。メルロ=ポンティは「文学が、芸術が、生の営みが、物そのもの、感覚的事物そのもの、実在物そのものをかりてなされ、極限にまでいった場合は別にして、習慣的なもののなか、構成されたもののなかにとどまるという幻想をみずからも持ち、また他にも与えうるのに対し、絵具も使わず銅版画のように白黒で描く哲学は、この世界の奇怪さを、人々が哲学と同じくらいまたそれ以上見事に、だが半ば沈黙の中で対決しているこの世界の奇怪さを、忘れ去ることを我々に許さないのである」(8)と、文学や芸術などと哲学の違いを言っている。また熊野によれば「詩人がことばを撚りあげ、詩句を編みあげようとするとき、通常の意味での時間は流れていない。詩のことばは瞬間をとどめ、現在を永遠なものとして語りだすことができるのである。哲学のことばはこれに対して、あくまで時間のなかで紡ぎだされるほかはない。哲学者はいつでも、時間の中で永遠に追いつこうとする」(9)。だから、哲学はおよそ完結することのありえないこころみとなることだろう。問いの生まれる源泉としてあるのはともに現実の経験そのものであるとしても、詩では問いに答えを与えることが再び問いとなるようであり、哲学では問いの前で立ち尽くし答えを求め続けるようになるというふうに、問いに対する働きかけの点においては異なっているのである。
4、サルトルにおける哲学と文芸
ところが、メルロ=ポンティと同時代に活躍し、その思想の類似点と相違点から比較されることも少なくないサルトルは、哲学者として名をあげながら、文学の世界でも作品を残している。メルロ=ポンティにとっては明らかに区別されていた哲学と文芸は、サルトルにおいてはどのようなものだったのだろうか。
二人がともに試みた現象学は、意識に現れるものによって世界を説明しようとするものである。人間の知覚には限りがあり真の物体をとらえることは不可能だと、経験の世界と対比して本質の世界を仮定的するのをやめて、存在するものの存在とはまさにそれが意識の中に現れるところのものにほかならないと考える。サルトルとメルロ=ポンティがテーマとしてあつかう領域には、かなりの重なりが見られ、重なるところがあればこそ違いを見出すことができる。思想とそれを言語として表現する形態から、サルトルはメルロ=ポンティとどう異なっていたのかを見ていきたい。
サルトルは存在の領域には二種類があるとした。そのひとつは意識の存在であり、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」であるようなあり方である。これをサルトルは「対自存在」と呼ぶ。「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものである」というのは、あらゆる意識が何ものかについての意識であるからだ。意識は何の内容も持たない意識ではありえず、主体が意識を持つとき必ずそこには意識される対象がある。このような何かに向かう性質を意識の「志向性」という。意識は決して意識される対象そのものにはなりえず、主観が脱自してその外部に距離を置いてある対象へと向かう働きが意識なのである。そして意識は、このように対象に向かう対象定立的意識であると同時に、自己自身についての意識でもある。ただし、自己自身についての意識は、対象についての意識が定立的であるのに対し、非定立的である。対象意識は意識されるものが意識されずにはありえないが、自己意識は自己を意識せずとも意識しているという構造になっている。
もう一つの存在の領域は、現象の存在であり「即自存在」という。これは「あるところのものであり、それがあらぬところのものであらぬ」ような存在である。即自存在はまったき肯定性であり、それがあるところであるそれ以外のあり方は問題とされない。自己と比べうるような他性を知らず、外に対立するような内も持たない。かたまり的に現れるすべてをそのまま肯定するのが即自存在である。人間は即自存在である偶然的な自分自身を根拠づけるために、自己の外に出て自分以外の存在へと向かう。そして神ではない人間において、即自存在と対自存在は同時に両立するものではないので、「対自とは『自己を意識として根拠づけるために、即自としての自己を失う即自』である」(10)。サルトルは、このような現在の自分を否定し常に未来をつくっていく存在を「実存」と考えた。脱自という特性をもった自己意識を持つ人間存在は、ありのままの自己以外にあるべき自己の姿を考え、それに向かって行動する。これをサルトルは「投企」と言う。サルトルにとって人間は、みずからによってみずからつくられたものなのである。
サルトルは文学としての彼の代表作である小説『嘔吐』の中で、「対自存在」を描いて見せる。松浪は「私がどんなに身を振りほどこうとしてもどこまでも私に付きまとって離れない一つのあじきない味わい、私の味であるこの味わいを、私の対自によってとらえること、それが小説『嘔吐』の中に記述されるような「吐き気」である」(11)という。『嘔吐』の主人公は、ものを見つめ続け、気分が悪くなる。自分の顔を見つめ続けるとそれはだんだん猿のような化け物に見えてくるし、カフェでガラスのコップを見つめ続けると世界がおかしくなって吐きそうになる。ものを見続けると世界から離れてしまうような気がするのは、日常の世界では対象としてのものはすべて私にとって何らかの意味をもった道具としてあるからである。ものを見続けることは、そのものに与えられている使用価値をそのものから引き剥がすことになる。このような感覚で目に入る対象をまなざし続けたら、確かに気分は悪くなり目の回るような気がするだろう。おかしいのは世界なのか、自分なのか。対象に与えられているように日常では思われている意味というものは、見つめ続けるだけでゆらぎ始めるような不確かなものである。しかし社会的生活の大部分の場面ではそれが前提とされているのである。
5、哲学の難しさは本質と言葉の性質に起因する
メルロ=ポンティが使うような詩的言語を交えたものに限らず、哲学が一般的に難しいと思われているのは、ここのところに原因があるだろう。求められる本質は、日常のどこにでもあるものであり、日常のすべてであると言い換えることも可能でありながら、まさに日常を生きているといえるようなさなかにはいつも潜み隠れてしまっており、見つけられないものなのである。晩年のメルロ=ポンティが使った「見えるもの」と「見えないもの」という言葉を借りると、サルトルは見えるものを描くことで見えないものを表そうとしたのに対し、メルロ=ポンティは見えないものを見るために書いていた側面があるといえるのではないだろうか。
メルロ=ポンティ―哲学者は詩人でありうるか? (シリーズ・哲学のエッセンス)
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<引用文献>
【現代哲学】「存在と無」にみるサルトルの主体の概念と『嘔吐』
1、現象学とは
現象学は、意識に現れるものによって世界を説明しようとする試みである。人間の知覚には限りがあり真の物体をとらえることは不可能だと、経験の世界と対比して本質の世界を仮定的するのをやめて、存在するものの存在とはまさにそれが意識の中に現れるところのものにほかならないと考える。
2、「対自存在」は意識の存在
サルトルは存在の領域には二種類があるとした。そのひとつは意識の存在であり、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」であるようなあり方である。これをサルトルは「対自存在」と呼ぶ。「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものである」というのは、あらゆる意識が何ものかについての意識であるからだ。意識は何の内容も持たない意識ではありえず、主体が意識を持つとき必ずそこには意識される対象がある。このような何かに向かう性質を意識の「志向性」という。意識は決して意識される対象そのものにはなりえず、主観が脱自してその外部に距離を置いてある対象へと向かう働きが意識なのである。そして意識は、このように対象に向かう対象定立的意識であると同時に、自己自身についての意識でもある。ただし、自己自身についての意識は、対象についての意識が定立的であるのに対し、非定立的である。対象意識は意識されるものが意識されずにはありえないが、自己意識は自己を意識せずとも意識しているという構造になっている。
3、小説『嘔吐』は「対自存在」を描写している
「私がどんなに身を振りほどこうとしてもどこまでも私に付きまとって離れない一つのあじきない味わい、私の味であるこの味わいを、私の対自によってとらえること、それが小説『嘔吐』の中に記述されるような「吐き気」である」(1)と松浪はいう。『嘔吐』の主人公は、ものを見つめ続けると気分が悪くなるという。自分の顔を見つめ続けるとそれはだんだん猿のような化け物に見えてくるし、カフェでガラスのコップを見つめ続けると世界がおかしくなって吐きそうになる。おかしいのは世界なのか、自分なのか。ものを見続けると世界から離れてしまうような気がするのは、日常の世界では対象としてのものはすべて私にとって何らかの意味をもった道具としてあるからだ。ものを見続けることは、そのものに与えられている使用価値をそのものから引き剥がすことになる。このような感覚で目に入る対象をまなざし続けたら、確かに気分は悪くなり目の回るような気がするだろうし、社会的には少数派になるかもしれない。しかし、それがそのようにあることの不思議を味わうことよりほかに、まさに生きているといえる瞬間、生きている不思議を思い知れる瞬間があるだろうか。
4、「即自存在」は現象の存在
さて、もう一つの存在の領域は、現象の存在であり「即自存在」という。これは「あるところのものであり、それがあらぬところのものであらぬ」ような存在である。即自存在はまったき肯定性であり、それがあるところであるそれ以外のあり方は問題とされない。自己と比べうるような他性を知らず、外に対立するような内も持たない。かたまり的に現れるすべてをそのまま肯定するのが即自存在である。
人間は即自存在である偶然的な自分自身を根拠づけるために、自己の外に出て自分以外の存在へと向かう。そして神ではない人間において、即自存在と対自存在は同時に両立するものではないので、「対自とは『自己を意識として根拠づけるために、即自としての自己を失う即自』である」(『存在と無Ⅰ』p.225)(2)。サルトルは、このような現在の自分を否定し常に未来をつくっていく存在を「実存」と考えた。脱自という特性をもった自己意識を持つ人間存在は、ありのままの自己以外にあるべき自己の姿を考え、それに向かって行動する。これをサルトルは「投企」と言う。サルトルにとって人間は、みずからによってみずからつくられたものなのである。
5、他者のまなざしは主体「私」を対象とする
主観と主観が出会うとき、他者にまなざされた私はどのようにあるのか。私の意識において現れる他者の憶測性、蓋然性によって、他者の対象性は私と他者の根本的関係ではないが、他者の主観性を想定することによって私は他者に対してある存在、他者にとっての対象となる。自分で自分自身をつくる対自存在としての私とは違い、他者に対象化された対他存在としての私というのは、私にはどうにもできないどころか明確に知ることすらできない。他者のまなざしは主体としての私を対象とするのである。逆に、私がまなざした他者はどうであるかというと、他者は私の関係づけを逃れる関係づけの中心として存在する。『嘔吐』においては、「自分は変わっていくがあなたは変わらない」と言い張るアニーと、いや私も君と同じように変わっているのだと言う主人公の間で交わされる食い違いのある会話において、私の関係づけを逃れ続ける他者の姿が浮き彫りにされる。私はある人をとらえようとして諸々の対象とその人を関係づけて全面的に私に依拠したその人のイメージを持つが、その人は主観性を持って次々と私の知らなかった面を見せ、私の予期しなかった行動をつくりあげ、私がその人を対象化しようとすることから逃れていくのである。よって他者は、私がとらえようとするかぎりでは絶対に手の届かない存在であり、それは不在であるということができる。では、どのようにして我々は他者と出会うのかというと、それは他者からまなざされることによってである。私にとっての他者の存在は、私を対象化する存在としてのみ確かめることができる。他者のまなざしを意識することなしに私が対象化されることはないからだ。サルトルの言い方では、「他者は彼がまなざされている限りにおいてではなく、彼が私をまなざしている限りにおいて、私に対して現前的であるところのもの」(3)なのである。
6、<対自-身体>と<対他-身体>
サルトルは主観の入れ物としての人間の身体には、<対自-身体>と<対他-身体>という交通不可能な二つの次元の在り方があると分析した。<対自-身体>は身体の主観的側面であり、私に対する私の身体である。主体としての人間が最もはじめに出会う道具としての身体を行使している状態の身体がこの次元にある。歩くときに自分の足を意識しようとするとうまく歩けなくなるし、話すときに自分の舌を意識し始めたら、何も言えなくなるだろう。これはサルトルのいう<対自-身体>と<対他-身体>という二つの次元の在り方は交通不可能であるということである。
一方、<対他-身体>は身体の対象的側面であり、人の目にさらされた身体である。人の目にさらされた身体と一言にいっても、私にとってそこには、私がまなざす他者の身体と、他者によってまなざされた身体の二種類がある。前者は私がそれに対して観点をとりうるもので、完全に私の外部である世界の一部として現れるが、後者はそれがまさに私の観点であるという理由から、それに対して私が観点をとることができない観点である。私は私の身体に対して観点を持ちえないので、私が私の身体をとらえるときには他者によってまなざされた私の身体としてとらえることになる。
7、「私が私にとっては他者とはまったく違う特別な存在のあり方をしていたところで、人ごみに紛れてしまえば、それさえもありふれた主観のひとつである」
サルトルは『嘔吐』の中で主人公に「私は、自分が、何もしたくないのだということをよく知っている。何かをするとは存在を創造することだ―そしてそのように存在するものは、かなりたくさんあるのだ」(4)といわせている。「何かをするとは存在を創造することだ」というのは、人間はみずからによってみずからつくられたところのものであるという「投企」の人間観である。しかし彼は何もしたくないという。何かをすることで存在を創造している存在は私のほかにもかなりたくさんあるのである。「ブリベ通りに認められるあれら小さな黒い人間たち。一時間後に、私はその中の一人になるだろう」(5)丘の上から町を見下ろしながら、彼はあきらめたように言っていた。私が私にとっては他者とはまったく違う特別な存在のあり方をしていたところで、人ごみに紛れてしまえば、それさえもありふれた主観のひとつである。だから彼は「ためしに少しでも変化が起きるといい。私はそれ以上のことを要求しない」(6)と、ありふれた彼の主観としての存在のとらえ方が、本当にありふれたものになるように願っていたのだ。
<引用>
【倫理学概論】ケアの責任自体が生の享受であれ
1、自律的に生きること
工藤は、閉じた共同体内のあらかじめ定まっている道徳に従うことを他律として、自らが倫理的であろうと批判的に判断することを自律とする。そして「啓蒙の時代である近代に求められる理性の公共的使用は、共同体から一旦離れて考えてみるという決意と勇気であり、これまでの言葉で言い直せば、道徳を時には問い直す倫理であり、他律だけの未成年状態から脱却する自律である」(1)と、これからは自律的に生きなければならないというが、ここでいう自律して生きることとはただ自分勝手に自分にいいようにすることではない。この点は道徳であっても同様だと思われるが、倫理とは他者との関係の中で必要とされるものなのであり、それは当然他者に配慮したものでなければならない。
2、他者に対する倫理
他者に対する倫理には、私と同じ人間としての他者を自分と平等に大切なものとして扱おうとするものと、自分とはまったく異なっている他者を何よりも優先して扱おうとするものがあると考えられる。品川哲彦によると、前者はアリストテレスの言う「分配の正義」「共生の正義」「交換の正義」に代表される「正義の倫理」であり、これは誰にでも等しく適応される原理原則をめざしたものである。そして、後者のように他者を捉える倫理を品川は、ハンス・ヨナスの「責任の倫理」とキャロル・ギリガンの「ケアの倫理」をとりあげて考察する。「ヨナスの倫理理論は非対称な力関係を範型とし、傷つけられうる対象の側から傷つけうる主体にむけてつきつけられる責任によって基礎づけられる」(2)ものであり、例としては「乳飲み子は、存在をおびやかされている存在者であるがゆえに、回りの世界にたいして異論をはさめないしかたで、その世話をするようにという当為をつきつけている」(3)ということで、その責任を引きうけるかは決まっていないが、確かに感じうるものである。一方、「ケアの倫理は特定の内容の価値観や社会的役割と関わりなく、ただ、傷つきやすい、助けを必要とする人間観に立脚して」おり、現実の人々が置かれている文脈や状況において「身近な人間への気づかいを重視し、人間関係の良好な維持のために心を砕くことを倫理的と考えている」(4)。
3、責任の倫理とケアの倫理
品川によると「責任の倫理とケアの倫理はともに非対象的な力関係に由来する規範を基底とするゆえに、生身の人間の傷つきやすさ、生の損なわれやすさに配慮する」(5)。自他を非対称な力関係のうちに見ることは、正義の倫理が類似の状況や立場にある誰に対しても等しく適応される原理原則として描かれていることとは、特徴的に異なっている。また「ケアの倫理は苦しんでいる人を気づかうというその精神から、場合によっては、社会のなかで成り立っている既存の正義の観点からすれば、尊重すべき存在者の範疇から外れている存在(たとえば、犯罪者、敵国の人間など)へのケアをも要請する」(6)が、ここで品川のいう「正義」は、工藤のいう「道徳」に近いところがあると思われる。それらは特定の範囲を持った集団の中で適応されるものであり、正義が公平や平等をめざしたところでアリストテレスの時代であれば奴隷や女性は人格として認められていなかったように、適応外のものへ対しては一切の配慮を欠いているのだ。ところが「責任は、私と異なる存在者からの呼びかけにも端的に応えうる」(7)のであり、外部に対して開かれていると言える。「私たちは複雑になった現代に、実に多様な共同体の重なりありの中に生きている。いくつもの道徳や規範がぶつかりあうとき、私たちは安定した役割を超え出る自律的判断を求められている」(8)と工藤は言う。ある集団のなかでの正義がほかのところではまったく通用しないということは十分あり得る状況にあっては、ひとつの共同体の中に閉じこもることで安心したいと思うこともあるだろうが、現状として複雑に共同体が重なっているのであれば、それぞれの状況を鑑みて自分で判断するしかない。「信頼思考の強い人ほど、よく他者を観察し、原則的には他者を信頼しながら、信頼できない人を見分ける判断力に優れている」(9)であり、閉じた共同体に守られて安心するのではなく見知らぬものを認めて判断していかなければ、世界を開いていくことはできない。また、ケアの倫理が「既存の正義による保護から外れた外部にたいしても不当であるまいとする態度の表われ」(10)だといわれるように、外部に目を向けることは共同体内部の道徳から離れて、自分自身で倫理を見出すことにもつながる。
4、責任に応えることは生の享受である
ただし、責任の倫理には、責任を感じたあとにそれを引き受けるかどうかの決断のところにハードルが残っている。「人間が自由である以上、責任を果たすことも放棄することもできる」(11)からである。私はこの問題について、楽観的かもしれないが、感じられた責任は果たされるように方向づけられていると考える。「斯くの如き世に何を楽んで生くるか。呼吸するも一の快楽なり」という西田幾多郎の言葉について上田閑照が「生き得るためには、生きること自身に何か肯定的なことがないと生きぬくことはできません」と言ったことから品川は、西田の呼吸という言葉はひとりの人間が一個の生き物として生存の根本的な条件である環境との交わりのなかに自分の生を確かめているようすを伝えているとと読み取り、「私の生、私が「ある」ということは私の外にあるものとのこうした交わりにおいて成り立っている。呼吸が快楽なのは、その交わりそのものを端的に享受することだからに他ならない」という(12)。他者からの責任を感受してそれに応えようとすることは、まさに外部との交わりである。それゆえに、その責任を放棄することは自分の前に現れた他者の訴えから目をそむけ耳をふさぐことである。それでは外との交わりを享受することができないので、生を喜ぶことも自分の生を確かめることもできない。自分と異なる外部を無視していたら、安心はできるがドキドキしないということなのだろう。関係を結ぶことは享受されるものである。ケアの倫理でもノディングスによって「受け入れ、受け入れられること、ケアし、ケアされること。これが人間の基本的なありようであり、その基本的な目的である」(13)と言われ、「ケアが人生を意義深くさせる不可欠の要素である以上、ケアを放棄する人は自分をとりまいているすべての他者と事物に興味を持てない自己疎外という結果に陥らざるをえない」(14)。レヴィナスは「ひなたぼっこは最初の横領である」というパスカルの言葉を引いて、私は存在しているだけで他者に対して無限の責任を負っていると言ったが、責任の倫理では「責任が存在する可能性が、なにより先行する責任だ」(15)といわれ、責任を感じ責任を担いうるものとして主体は存続すべきだとされる。ひなたぼっこによって横領をしているからといって、今すぐひなたから退くべきなのではない。他者からの責任を感じる私は、私として存在するべきなのであり、応えるか応えられるか否かは別にして、私と関わるすべてのものへの責任を負うのである。
5、恩返しとしてではなく、支え合い自体が幸福でありますように
工藤は、「支えあいは幸福の具体化である。親切にするという正しさは決して感謝されるという幸せをめざしてなされるのではない。今述べた世代間リレーでわかるように、もうすでに幸せは与えられているのである。誤解されたりありがとうの言葉をもらえなくても、それは不公正ではない。これまでの無数の目に見えぬ恵みにお返しをしないことが不公正なのである。支えられているという幸せに支えるという正しさが加わってはじめて幸福は形をなす」(16)と述べる。「世代間リレー」とは、上の世代から受けた恵みは下の世代にお返ししようと考えることである。たしかに、赤ん坊はほかっておかれれば死んでしまうし、生きていることは周りのいろいろな人の助けによって成り立っている。しかし、すでにもらっているものがあるからそれを返そうという考えを親切の動機とすることには問題があると思う。「私が今生きていること自体がもうすでにさまざまな世話や親切のたまものだから、そのお返しとしてせっせと目の前の他人に親切をなすべきなのである」(16)としたら、世代間倫理において過去の世代は私たちの配慮などせずに環境を破壊したというのに、なぜ私たちの世代から未来のために節約をしなければならないのだろうか。もしくは、虐待をされて育った子が親になったときにわが子を虐待する傾向があるという負の連鎖をとめる論理は、受けた恩のお返しとして親切にするべきだという主張からは引き出せないだろう。また、幼いころから身体が不自由で動くこともできずにひたすら他人に世話を受けて何とか生きてきた人にとっては「受けた恩を返すべきだ」と主張されるのは酷なことにしかならない。与えられたものを返そうとするだけでは、与えられなかったものを与えることはできないということになる。そこで、乳飲み子の世話をするのは、決して自分がそうであったときに他者から無条件にそうされたときの恩を返すためにされることではなく、与えることがそのままもらうことなのであると考えることができる。このとき与えたものともらったものはまったく違うものであるので、誰かへの親切がそのまま自分も何かをもらうことになっているのにはなかなか気がつきにくくはあるが、徐々にもしくは後になって気がつくこともあるように、親切の贈答は確かにそういう構造になっていると考えるほうが送る方にとっても受けるほうにとっても気分がよいと思われる。
親切の動機となるものは、工藤の言に則すればむしろ、責任がないことに対して関わるべき事柄や人に応答するという仕方で責任をとることであり、相手の生きようとする力を支えることである「思いやり、大切にすること」(17)に近くあるべきだと言えるだろう。支え合いは幸福の具体化であることには同意するが、それは他者を受けいれ、受けいれられること自体を喜びとして享受することから支え合いが可能になっているからである。
<引用文献>
- 工藤和男『くらしとつながりの倫理学』晃洋書房、2006年、p.15。
- 品川哲彦『正義と境を接するもの 責任という倫理とケアの倫理』ナカニシヤ出版、2007年、p.32。
- 同上、p.38。
- 同上、p.24。
- 同上、p. iii。
- 同上、p.26。
- 同上、p.44。
- 工藤、前掲書、p.16。
- 同上、p.17。
- 品川、前掲書、p.26。
- 同上、p.99。
- 同上、p.49。
- 同上、p.183。
- 同上、p.187。
- 同上、p.39。
- 工藤、前掲書、p.179。
- 同上、p.196。
<参考文献>
渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』北海道新聞社、2003年。
佐藤義之『物語とレヴィナスの「顔」 ―「顔」からの倫理に向けて―』晃洋書房、2004年。
【倫理学概論】脳死からの臓器移植
1.どの状態を死とするか
人が生きている、死んでいるとはどのような状態なのか。一般に、生は死と相対するものとして考えられるが、実際には死の瞬間と言える一点はない。それは、完全な身体の機能停止に向かって徐々に進行していく不可逆的な現象であり、どこまでが生きていてどこからが死んでいるという明確な線引きはできないのである。たとえば死体のひげがのびることが往々にしてあるように、すべての身体機能が失われる時点までを生きているというわけではないし、いったん機能を停止した心臓がマッサージや電気ショックによって回復することがあるように、特定の内臓や神経の機能停止が必ず死につながるわけでもない。
だからどの状態を死とするかは、もちろん社会的な死の定義に従いはするものの、基本的に医師の裁量に任されている。そして近年、医療技術の進歩の結果、人工呼吸器などの生命維持装置の使用によって、脳死という特殊な死に方が起こるようになり、この、どの状態から人は死んでいるのかということが改めて問題となった。
2.脳死が論じられるのは臓器移植のため
心臓死や窒息死や脳幹死は、それぞれ心臓の機能停止と気道のふさがりと呼吸運動をつかさどる脳幹の障害によって体内で酸素の欠乏がおこり、脳の機能停止へとつながるものである。ところが脳死は、生命維持装置によって人為的に延命治療がおこなわれていながら、脳が不可逆的に機能を停止し、それにともない呼吸中枢が動かなくなって、脳組織全体に酸素欠乏がおこるというものだ。脳死は、脳の機能が働かなくなっても身体に酸素を供給する生命維持装置があって初めて可能になる死に方なのであり、医師の中でも脳死と植物状態の区別を知らないものもいたらしいが、高い技術によって作られた生命維持装置のないところで脳死は絶対に起こらないのである。
そして、脳死は他の死に方にくらべ論じるべき問題として取り上げられるが、それは臓器移植とのかかわりにおけるところが大きい。脳死状態にある身体は、身体に必要な酸素や栄養素を供給する生命維持装置のおかげで、脳以外の身体は脳が機能していた時と同じように動いている。とはいえ、自分で呼吸や血圧のコントロールもしている植物状態とは違い、脳死状態は外観的には土気色の顔で生気がなく、立花隆は脳死患者を見た印象を「死体を人工呼吸器で動かしているという感じ」(1)だというが、機械に動かされているのであっても、動いているという事実は確かなのであり、臓器移植にとってはそこが肝要なのである。臓器の中には、腎臓のように死体から取った臓器でもかなりの確率で移植手術が成功するものもあるが、特に心臓はとりわけ酸素欠乏に弱い構造をしており、個体死の直後に二度と動かなくなってしまうので、死体からの移植は不可能だからだ。脳死を人の死として認めれば、脳死状態の人から臓器を摘出し移植することができるが、脳死が死ではないとすれば同じ行為が、患者を殺したと受け取られることになる。しかし、今まで慣習的に息を引き取り心臓が動かなくなった状態を死としてきた社会においては、機械を外せば止まるにしてもとりあえずは心臓が動いている状態を死んでいるとするには抵抗がある。こういうわけで、脳死が死であるかどうかが問題とされたのである。
3.工藤和男の意見:脳死からの臓器移植は間違っている
これについてはいろいろな意見があるが、工藤和男は大きく二つの理由を挙げて、脳死状態からの臓器移植は原則として間違っていると指摘する。(2)まず一つ目の理由は、脳死からの臓器移植が他人の死を前提とし利用する治療であること。誰もが受け入れられる心臓死を迎えた後の結果として可能になる死体からの臓器移植とは違い、治療の目的のために伝統的な死の概念を変える必要がある事態は、治療のために他人の死を待ち望むという倒錯した発想が引き起こされかねない医療体制だと、工藤は批判する。そして二つ目として、脳死からの手術に限らず、手術後生涯にわたっていのちの根幹である免疫を抑制しなければならない臓器移植は、もはや治療とは呼べないものだと言う。
4.工藤の意見に対する私の考え:心臓死を死とする伝統的概念にも不確かさがあり、献体を自ら望む人もいる
工藤が脳死からの臓器移植が間違っていると述べる一つ目の理由に関して、確かに治療のために他人の死を待ち望むような医療体制はあってはならないものである点に私は同意するが、心臓死後の死体からの臓器提供と脳死患者からの臓器提供の違いを伝統的な死の概念に基づくか否かで分けることには違和感を覚える。五分以上心臓が止まっていても、その後蘇生し、しかもその心臓が止まっていた間もはっきりした内的意識を保持していたという女性がいた。このことから、心臓死を死とする伝統的な概念は、まだ意識のある人を死んだといって放置してその結果死に至らしめるケースを含んでいると考えられる。同様に、個人の主観的意識の有無を観察によって判断することは非常に難しく、脳死状態の脳が本当に死んでいるのかも判断しかねるものだ。身体は人類に残されたもっとも未知なる自然であると言われることもあるように、身体が何によって動かされているのか、意識があるとはどういう状態であるかは到底わかりそうもないのであるが、死を定義するというのはその瀬戸際を見極めようとすることである。今までの考え方では死として認められない脳死を、臓器移植手術を行うために無理に死として新たな概念を形成することを推奨するわけではないが、脳死が死であるかどうかと同じくらい心臓死が死であるかどうかも不確かなのだということは覚えておきたい。科学技術の進歩によって医療行為に可能なことの範囲が広がっているのに、伝統的な死の概念を固持しつづけるのも不自然だろう。
そして、治療のために他人の死を待ち望むような医療体制はあってはならないものであるということに関して、それはまったくその通りではあるが、一部に自分の死を他人のために役立てたいと考える人がいることを考慮すると、また違った見方をすることもできる。星野一正は「私たちが人生最後にできる愛のボランティアとして、臓器移植の目的で臓器を提供する行為と、遺体のまま人体解剖学の教育・研究のために全身を大学に提供する行為とがある」(3)という。自分が死んだあとに自分の臓器が他の人の体内で機能し続けてその人が生きていけると、自分の遺体を人体解剖学実習の教材として役立ててもらい医者の養成に奉仕できるのだと考えることが、純粋に喜びとなる者もいるのである。余命の短くなった患者が献体登録をすることで、なるべく良好なサンプルを学生に提供したいという気持ちから健康に気をつけるようになったという話を知ると、人生の最後の最後まで人のために存在しようとするのはどうかとも思ってしまうが、奉仕の精神とは支えることで支えられるものだとは、まさにこのことなのだろう。
脳死状態からの臓器移植の工藤の批判点の二つ目については、いのちの根幹であるとみなされる身体の作用が具体的に他になにがあるのかは、私の知識不足のためあげることはできないが、現在医療行為としておこなわれていることの中には、免疫抑制以外にもその類の行為が他にもあるのではないか。飲んでいると怪我の治りが遅くなる薬もその一例として考えられる。
5.経験的事実に基づく医療技術に絶対はない
また、脳死からの臓器移植には、そもそも脳死という現象がめったに起こらないものであることから、臓器提供が慢性的に少なすぎるという問題もある。しかし、たとえそれが宝くじに当たるような確率でしかなかったとしても、宝くじで大金が当たる確率がとても低いことがわかっていながらも、宝くじを買う人は存在し、宝くじという商売が成り立つことを思うと、重病の患者のために一縷の希望として臓器移植という可能性があってもいいのではないかと私は思う。ただ、その可能性のあまりの低さと、もしも手術が成功したからといってそれで終わりにはならないということは重々理解しておく必要がある。医療技術は、そうすればこうなることが多いという経験的な事実から成り立っており、今までその理療を受けた人がみんなそうだったからといって、自分もそのようになるとは決まっていない。薬の効果は、ある症状が出ているときにその薬を服用するとその症状が治まった人が多いというだけだ。薬の成分がどのような化学反応を起こすものであるかが実験によって確かめられているとしても、自分の身体に起こっている症状の原因がどこにあるのかは推測することしかできないし、各人固有のものである身体のどの条件の違いが薬品の効果に対する身体の反応を変化させるかなどは、結果としてしかわからないし、それもやはりどうしても推測にすぎないのである。脳死からの臓器提供は、多少投げやりかもしれないが私は、希望をかけたい人は掛ければいいし、自分の死が他人の役に立つことに喜びを見いだせる人は意思表示を残しておけばよいのだということで、医療体制としてあることは悪くないと思うが、関わる人にはなるべく知識をつけるべきだろう。生死の境の判断は、なぜあるのかもわからない生命が消えるきっかけなどわからないものだから、ただ決定する裁量を任されている医師には精一杯最善を尽くしてほしいと願うばかりだ。
引用文献
(2)工藤和男『いのちとすまいの倫理学』晃洋書房、2004年、p.53。
(3)星野一正『医療の倫理』岩波新書、1991年、p.136。
【倫理学概論】対話でつくる国際正義
1.不可欠、だが困難な、国際正義の定立
「グローバル化により異なった文化的背景をもつ人間の接触機会が増大したいま、文化横断的な正義や地球的な共存倫理を定立することなしに、他者との良好な関係を維持することは不可能なのである」(1)と、押村高はいう。産業化に押されるように、世界を行き来する人や金や情報の交通は増え、事件が及ぼす影響の範囲も広がった。今や、テロや犯罪組織、エネルギー資源や環境、貧困・飢餓・食料、金融危機の問題など、世界規模で取り組まなければならない問題が多くおこっている。このような国境を越える問題を考えるときには、文化による違いのない正義や地球全体を慮る倫理が必要となるのである。しかし、いくら必要とされても、グローバルなレベルで共通の規範というのは定めるのが非常に困難なものだ。
複雑な国際社会における正義の定立をむずかしいものにしているのは、まずそれぞれの文化が異なる価値観や正義観をもっているということである。「コミュニタリアンと呼ばれる人びとは、善や正しさの観念がその社会に固有のものであり、共通にそれを正しいと信じている人びとの範囲でしか正義の履行は期待できないと考えた」(2)ように、文化による価値観の多様性ゆえに、定めるのが困難どころか、国際社会に共通の正しさはあるのかどうかもわからないという考えもある。しかし、価値観が違うからといってそれが直接文化をまたぐ正義はありえないという結論に至ることはないだろう。世界の三大宗教を比較して共通の正しさを見つけることもできるし、わけもなく人を殺すことを正しいとする文化はないからである。価値観の違いは多々あるにしても、最低限のところに国際社会の平和のために守るべき秩序を求めることはできるだろう。
2.文明を横断した「対話」で、国際正義を導き出す
そして、異なる文化をまたいだ正義を探るときに重要になるのが「対話」である。押村は「文明を横断する正義を導くのに、抽象的な推論にも類似性の模索にも限界があることが明らかとなった。それでは、差異に配慮しつつおこなわれる「文明間の対話」にそのような役割を果たすよう期待することはできないか」(3)と考える。いくつかの民族、文化、言語などからなる国家内において、よりよく共存するためのルールやコンセンサスを生み出すさいに異文化対話が実践されていることから、国際社会の正義を導くためにも対話は有効な手段となると推測されるのである。
ただし、これまで異文化対話である国家間での外交の際に論じられるのは各国の利益であって、国際社会全体のあるべき姿へと進む道ではなかった。押村は「伝統的な外交は、第一義的には国益の増進を測る手段とみなされている」(4)という。中西は地球的統治にとって問題となる国家エゴは国際政治の構造そのものに由来するものであり「国家の代表にとって国際会議の現場で自国の利益を守り、伸張することはそれ自身公的な責務である。彼らは人類全体を代表すべきいかなる政治的義務も負っていない。彼らが地球全体の利益も考えて行動することは許されているが、それは自国の利益と一致する範囲内においてであり、自国の利益に反する決定を支持することは彼らにとっては義務違反となるのである」(5)と分析するが、押村はそのような国家エゴは伝統的な外交に特有のものであり、国際正義を論じるときにも欠くことができないものであるとは考えていないのである。「ロールズは正義の「多元性」や「個性」を確保するためにも、社会正義を国境外に適用しないほうが無難だと考える」(6)が、これは国際的な正義に各国の同意を求める行為が「勢力の非対象にもとづく強者、つまり数でいえば開発国、富でいえば先進国による正義の強要をもたらすかもしれないし、それによって、各国の正義あるいは善文化が破壊されるかもしれない」(7)と心配したからである。「国際社会では、自らの意志を他者に押しつけ、また逆に他者から意志を押しつけられないための役割を軍事力は果たしてきた」(8)というのも、自国の利益だけを考えた外交のあり方のひとつだろう。しかし現在において国家が自国のことだけを考えるのは、結果の影響の及ぶ範囲の広さからして隣国や未来に対する無責任であると思われる。経済活動は国境を超え、環境問題において国境などありはしないのである。
では、国際社会の正義を導くための対話とはどのようなものであるか。「理論的に言うと、文明間対話の成否は、代表者がどのようにして自己の立場へのこだわりを脱することができるか、つまり国際公民の自覚を持てるかによって決まる」(9)と押村は言う。つまり自国の利益ではなく、地球全体のことを考えた発言によってなされる対話が、国際正義を導くのである。また「文明内の正義の常識は外界では通用しないという意識を持てば、自己の正義を押しとおすことなく、共通の正義を探し求めるという姿勢を育み、対話による正義の達成という理念に近づく」(10)という押村の見解は、まったくその通りであると私は思う。自国の正義を絶対的なものだと思っていては、ちがう文明を生きる他者の意見を否定することしかできないが、対話というのは自らの意志を押しつけるだけのものではないのだ。自らの正義を相対化する対話を成立されられれば、正義の食い違いがひき起こす紛争はその根拠を失うことになる。
3.ひとりの考察には限界があるが、「私」の意見も大切
相対化の効果に加えて、国際正義を導くのが地球全体のことを考えたひとつの理性の思考ではなぜいけないのかということを説明しようとすると、多文化を包括する正義を導くための方法が対話でなければならない理由は、代表者が自分の属さない文化を把握しているとはいえない点から、それぞれが自分の立場を持っているという前提にも求められるだろう。自国の正義を絶対視してはいけないが、それは対話において自分の立場を置き去りにして地球全体のことを考えろということではない。地球全体のことを考えようとしたところで、自分も地球全体に含まれているのである。ひとりの人間はその人の持っている歴史や生きている文化のなかの視点を離れた考察はできないし、またその人が知っている事情を他の人は知らないということは非常に多いのだからこそ、代表者は相対化された文化の一つとして、自国の正義を主張しなければならない。つまり自国の文化の相対化というのは、対話においては必要不可欠な「聞く姿勢」から始まると考えられるが、聞くだけではなく言わなければ対話は成り立たないのである。ただし、これに関してはこれまでの外交が自己主張のぶつかり合いであったことを考えると、わざわざ促されなくても主張はされるものなのかもしれないが、全体の利益を考えることが推奨される場面では、とりわけ力の弱いものが私利を要求しづらくなることもありうると思われるので「私」も「みんな」の一部であることを強調しておきたい。
4.1985年、ソ連アメリカ首脳会談での対話
正義の対立する異文化間でおこなわれた対話の一例として、1985年に行われたソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのレーガン大統領との首脳会談は非常に示唆的であると思われる。「最初の会談は両首脳のみで行われたが、両者の見解の相違は大きく、議論は激しく対立したという。しかし15分の予定だった会談は一時間を超え、食事をはさんで午後にも続けられた。結局、両者の歩み寄りはなく「対話は尽きた」(ゴルバチョフ)。しかし両者の間には人間としての感情が通い合うようになった」(11)そうだ。ゴルバチョフは会談のあとで対立したままではあったが「それぞれの直観が、分裂に向かってはならぬ、コンタクトを続けなければならぬ、とそっとささやいた。どこか意識の奥底に合意への希望が生まれた」と言っている。中西によると「相互に立場の違いを認識しつつ、相手の立場に立って考えるという「寛容」の精神によって二人は結ばれたのである」(12)。この一時間の対話が意見の違う相手を自分と同じ人間であると認めることになったからといって、それがどのくらい冷戦終結につながったのかは定かではないが、この事実は正義の対立する異文化間における対話の重要性を表している。
代表者による対話という方法には、押村が指摘するように「国家政府や外交団が国民すべてを代表できるわけがなく、しかも、代表が一部部族や階級の利益しか反映していない例も多く見られる」(13)という問題がある。そしてそれは「国際社会で参加者が異文化教育の機会を得ているかどうかは未知数である」(13)という問題とも関係があるだろう。国内であれ国際社会においてであれ、自分の属する集団の正しさに疑いを持ち、自分と違った正しさを持っている人の言い分を理解しようとする態度を代表者が持ち合わせていなかったときにおこるのが、これらの問題だからである。日常生活の小さな範囲のなかでは、自分と違う意見を真っ向から否定しないことは、たいていの人ができることであると思われるので、課題は小さな範囲で実行できていることを舞台が広がっても同じように考えられるかだ。楽観的ではあるが、国内で教育の機会を得ていなかった場合には、国際社会の対話を通してそれを知れば、国の代表者として出てくる人物がその国内で持つ影響力は比較的大きいものであろうことから、正義を導くための対話から国際社会に異文化教育が広まる可能性もある。
5.正義の対立から、寄る辺なき正しさの吟味へ
工藤によると、かつての共同体は、私、家族、地域から国家まで同心円的な重なりだったが、いま私たちは多様な共同体の重なりのなかにいるのであり、共同体の主張する道徳的正しさ同士が対立することも起こりうる。そしてそのような状況が、自分で吟味して判断するという自律の精神を要求する(14)。国境をこえた正義を探ることもまた、それぞれの正義が対立する状況を避けては通れず、それは自分にとって当たり前であった正しさを吟味することにつながるだろう。そのような社会は、差別などの他者の不幸を内包した正義を信じさせられる状態よりは啓かれており善いと言えるが、同時に、何もかもが相対的で信じられるものが見当たらない中で判断を迫られ続けるという不安と向き合う覚悟をもたなければならない。「正義」というものは国際社会で論じる前に、個人内であっても定立するのが難しいものであるように、自問自答し続けることで近づこうとすることしかできない性質のものなのかもしれないからである。
<引用文献>
- 押村高『国際正義の論理』講談社現代新書、2008年、p.12。
- 同上、p.183。
- 同上、p.195。
- 同上、p.201。
- 中西寛『国際政治とは何か 地球社会における人間と秩序』中公新書、2003年、p.203。
- 押村、前掲書、p.176。
- 同上、p.175。
- 中西、前掲書、p.106。
- 押村、前掲書、p.204。
- 同上、p.199。
- 中西、前掲書、p.274。
- 同上、p.275。
- 押村、p.201。
- 工藤和男、倫理学概論、2009年9月29日。
<参考文献>
遠藤誠治、小川有美編『グローバル対話社会 力の秩序を超えて』明石書店、2007年。
【倫理学概論】マジョリティの道徳的悪(中島義道『悪について』より)
1.カント倫理学は適法行為のうちで道徳的に善い行為を問題とするが、人間は非適法行為を実現する
中島義道は、カント倫理学のなかで、適法的ではあるが道徳的に善くはない領域の「悪」についての言及に注目する。中島によれば「カントの関心は、義務に適った行為のうちで、義務からの行為を限定するにはいかなる条件が必要かというもので」(1)あった。義務に適わない行為というのは、はじめからカントの眼中にはないのである。ちなみに、「「義務に適った行為」とは適法行為であり、「義務に適った行為」のうちで、さらに道徳的に善い行為が「義務からの行為」である」(2)。そして、道徳的に善い行為=義務からの行為は、善意志ないし道徳法則に対する尊敬に基づく動機によって実現された行為のことである。
これを言いかえると、「定言命法に従わないような意志ないし動機が行為をひき起こすとき、それは悪い行為(非適法的行為)か、たとえ適法的でも道徳的に悪い行為である」(3)と言える。問題の「悪」、つまり適法的ではあるが道徳的に善くはない行為は、定言命法に従わない意志や動機が引き起こす適法行為なのである。ただし、何が適法的であり、何が非適法的であるかというと、「その判定は定言命法だけからは少なくとも直接には出てこないのであり、定言命法を時代および社会の通念とカント固有の人間観(価値観)とに重ね合わせて、初めて導くことができるのだ」(4)。カント固有の人間観の理解はともかくとして、時代および社会の通念に左右されるということは、適法性に普遍的妥当性を持った法則を見出すのは不可能だ。そもそもカントの関心は適法行為のうちの道徳的に善い行為とは何かということであって、義務に反した非適法行為は問題にはされない。
道徳的に善い行為を導く定言命法は、以下の二つである。「(1)きみの意志の格律が、同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように、行為せよ。(2)きみ自身の人格における、またほかのすべての人格における人間性を、常に同時に目的として使い、けっして単に手段として使わないように行為せよ。」(5)この二つの法則への尊敬に基づく動機によって実現された行為というのが、カントの言う道徳的に善い行為である。しかし、理性的存在者である人間は、定言命法によって絶対的に道徳的に善い行為を命じられていながらも、なぜかそれに違反して非適法行為を実現してしまう。「道徳的に善い行為とは何かを知っていることと、それを実行することとは異なる」(6)のである。
2.カント倫理学の考察対象と、自己愛から生じる適法的ではあるが道徳的に悪い行為「根本悪」
「悪」をひき起こす意志や動機となるものとして、何よりも「自己愛」が強調される。それは、話をわかりやすくしようとすれば、「カントの場合、非適法行為の動機は自己愛しかない」(7)ともいえるくらいものである。自己愛は、自殺者、自分の才能を職業とするもの、社会的功績者から、つつましい生活を送る人のなかにまで、どんな人にでもありふれて生い茂る。その中でも特にカントが倫理学的考察の対象として問題にしたのは「その社会に適合した品行方正な人々」「この世の法律に従い、その枠内で利益を追求し、うまく立ち回っている善良な市民たち、社会において、犯罪者と逆の立場にいる者たち、すなわちその社会におけるまずまずの成功者たち」(8)であったと中島は言う。「彼らは、社会的に「賢い」からこそ、より危険なのであり、社会的に報われているからこそ、より悪いのである」(8)というのがその理由だ。カントの倫理学でテーマとされたものは、犯罪や社会的に悪であると非難されるような行為などではなく、日常においてはびこる、法では咎められず、外形的にはむしろ善いと言われる行為のなかにひそむ悪であったことは確かだろう。このような悪をカントは「根本悪」を呼び、悪ではないがいずれ悪につながる可能性を秘めた動機とした。「根本悪とは卑劣きわまる・血も凍るような・人間業とは思えない極限的悪行のことではない。それは、信用を得るために人を救助するとか、けちと思われたくないから寄付するとか、他人を傷つけたくないために真実を伝えないという些細な行為のうちに巣くっている。それは、我々が(自他の)幸福を求めようとするかぎり、必然的に陥る罠なのであり、あらゆる行為の「根っこ」なのである。」(9)ちなみに、中島は「根本悪」を悪よりも質の悪いくらいの悪であるとするが、それはおそらく中島が、社会的には品行方正な人々の為す、社会的には見えない適法的悪によって与えられる害の大きさを、身をもって味わってきたからであると思われる。
根本悪の代表であるとされる自己愛は、すべての人が持っているものであり、持たなければ生きていけない類のものである。しかし、自己愛のみを動機とした行為は、道徳的にだけではなく、一般的にも善くない行為だとされる。そこでカントが主に批判するような人々は、社会のなかで自分の幸福を得るために、なまの自己愛を覆い隠し、たとえば「他人の信頼という永続的利益を得たいのであれば、彼(女)はむしろなりふり構わず目前の利益に手をのばす態度を避けねばならない」(10)といった賢さを磨き上げるのである。「ほとんどすべての他人に対する親切や同情は、「義務から」ではなく「自己愛から」生ずることをカントは実感として知っていたのだろう」(11)と中島は言う。そして、「カントが心から憎んだこと、それは外形的に善い行為(適法行為=義務に適った行為)を実現しながら、心のうちには動機として道徳法則に対する尊敬ではなく自己愛が渦巻いていることである」(12)。根本悪は、悪とは違い、社会的に非難されることはないものである。
3.嘘は道徳法則に反する悪だが、我々は人間愛から嘘をつく
そのようにカントが憎んだ、自己愛から生じる適法的ではあるが道徳的に悪い行為の一例として、嘘の問題がある。カントは『人間愛から嘘をつくという誤った権利について』という論文で、常識で考えると衝撃的なたとえを挙げて嘘の悪さを説明する。人殺しが自分の友人を殺そうと追いかけていて、友人が家に匿ってほしいと助けを求めてきたので、匿うとする。その後、その人殺しが友人を探しにやってきて、その友人が家の中にいるかと自分に尋ねた場合でも、嘘をついてはいけないとカントは言うのである。このような状態で、その友人が自分の家の中にいることを告げれば、その人殺しは家の中を探し、友人を見つけて殺してしまうだろう。しかしカントは、友人の命を助けようとして嘘をつくことは、道徳法則に反するという点で悪だと主張する(13)。その理由は、善意の嘘を認めたら、嘘をつくことの奨励ばかりか真実を語ることへの非難へとつながるおそれがあるからである。「カント倫理学においては、愛よりも道徳法則に対する尊敬を最優先すべきなのだ」(14)。
しかし実際のところを振り返ってみると、これは中島も指摘していることではあるが、カントは友人の生命を守るための嘘でも悪だというが、私たちの日常生活の中にはもっと些細な動機から発せられる嘘にあふれている。日常において発せられる嘘に最も多いものは、他人の気持ちを思いやるという名目でつかれる嘘であるだろう。だが、これも実のところは、他人を不愉快にさせることばを発すると自分も不愉快になるので、それを避けるという自己愛に基づく行為なのである。「われわれは、善良であろうとすればするほど、他人を配慮すればするほど、嘘につぐ嘘の毎日を送らざるをえない」(15)という仕組みになっているのだ。しかし、他人の気持ちを思いやってつく嘘というのは、人間関係を円滑にし、社会に排除されないためには不可欠と思われるものである。「出口はないのだ」と中島は言う。「いかにしても、われわれは道徳的に善くはなれないのである。私にはたえず「道徳的に善い行為をせよ!」という命令だけが聞こえる。しかし、私はみずからそれを実現することができない位置にいることも知っている」(16)。人間が生きている最高善と根本悪とに引き裂かれていることは、カントも指摘していることである。
4.適法か非適法かという判定は、時代や社会の観念が作り出す
おそらくカントはその倫理学において、道徳的に善い行為をするべきだといっているのではないのだろう。ただ、法に適しているというだけで非難されない行為についての反省を促したかったのではないかと私は思う。自分の幸せを願うのは、誰にとっても許されることだと考えられている。しかし、幸せというものは各人ばらばらの価値観のもとにあるものであり、ある人が自己愛に基づいて欲する行為は適法的であるのに、ある人の自己愛に基づいて欲する行為は適法的ではないということがじゅうぶんにあり得る。そして非適法的行為は非難され、適法行為は推奨される。適法か非適法かという判定は時代や社会の観念によって異なるということを考えると、普遍的に妥当する法則を求める精神からしてみたら、これはどう考えても正しくないことである。やや感情的なことではあるが、中島は自身の子供時代について「みんな、ぼくに向かって「子供らしくなれ!もっと遊べ、もっと明るくなれ!と叫びつづけるだけだった。ぼくは彼らに向かって「もっと孤独になれ!もっと暗くなれ!」とは言わなかった。ただ、「そっとしておいてくれ」と願うだけだった」(17)。しかしそれすら聞き届けられはしなかったという。なぜなら、その「みんな」というのはマジョリティだからだ。彼らは「たまたま、その思考法や心情や感受性が絶対的な多数であるという大枠のなかに入っている」ので「自分の考えを主張するとひとりでに大多数の人々の考えと一致してしまい、自分の幸福感を表明するといつの間にか大多数の人々の幸福感と一致してしまう」(18)。つまり「彼らは自己中心主義を貫くとそれがそのまま「みんな中心主義」へと変貌するという便利な構造のなかに生息している」(19)のであり、マジョリティからそれてしまう思考法や感受性を持ったものを、弾劾したり説得したりすることをはばからないのである。ただし、何がマジョリティとマイノリティを決めているのかは謎だ。
5.社会的マジョリティの価値観にもどうか悩みを
嘘についてのカントのあげた極端なたとえも、このようなマジョリティの考え方を批判するものとしてとらえると、その極端さが理解できる気がする。道徳的善を知ってはいても人間は根本悪から逃れられないことを知っていたカントは、けっして友人の命よりも道徳法則を重んじるべきだといっていたのではなく、友人のためなら嘘をつくことを当然とし、そうしない人を「ひどい」と無批判に非難することを咎めようとしていたのではないだろうか。道徳的善を知っていても、そこに到達することの叶わない人間にせめてできることは中島いわく「道徳的であること」、つまり悩み続けることだからである。
ただ、カントは道徳的であるかどうかを性格のようなものとしてとらえていたということを考えると、自分の価値観がみんなの価値観とほぼ重なるように育ってきた人に、突然道徳的になれといってもそれは、中島の指摘するように「われわれがみずから社会の掟に疑いを抱いたときにこそ、社会の掟を破ったときにこそ、いや社会の掟を呪った時にこそ、我々は最高善を全身で「要求する」」(20)のであるから、社会の掟を破らずに適法行為を積み重ねるという自己愛のなかで安穏とする社会的に品行方正な人々が道徳的善を求めることは、何かしら突飛な出来事によってその人の幸福が社会から非適法行為とみなされるようなことでもない限り、ありえないと思われる。とすると、嘘についての問題で、真実性を他者の幸福ひいては自己愛よりも重んじるようにカントが説いたのは、マイノリティに対して、マジョリティが「みんなの幸福」という名で説くマジョリティにとっての快適さを守るための適法性が絶対ではないことをいうためであったかもしれない。マジョリティによって社会的に適法だと期待されることばではなく、真実というと大げさに感じられるが、自分の思うところを正直に述べたほうが善いということだろう。
中島義道を介して見るカントの倫理学は、善と悪のはざまで適法性を都合よく設定し、価値観を強要する社会的マジョリティを問いただすものであると私は解釈した。
<引用文献>
- 中島義道『悪について』岩波新書、2005年、p.15。
- 同上、p.14。
- 同上、p.32。
- 同上、p.31。
- 同上、p.19。
- 同上、p.26。
- 同上、p.48。
- 同上、p.54。
- 同上、p.198。
- 同上、p.59。
- 同上、p.81。
- 同上、p.84。
- 同上、p.94。
- 同上、p.103。
- 同上、p.100。
- 同上、202。
- 中島義道『カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ』講談社、2002年、p.159。
- 同上、p.147。
- 同上、p.148。
- 中島義道『悪について』、p.208。
<参考文献>
- 和田秀樹『〈自己愛〉の構造 「他者」を失った若者たち』、講談社選書メチエ、1999年。
- ギュンター・アンダース著、岩淵達治訳『われらはみな、アイヒマンの息子』晶文社、2007年。